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茶道具買取 中川浄益

中川浄益

 金物師として伝統ある家督を守り続けているのが、中川浄益です。千家十職のひとつとして初代は1559年に生まれており、11代が現在当代として活躍を続けています。元々は越後国で甲冑・鎧などを作っていたと言われていますが、初代が茶道具を手掛けたことから始まっています。






中川家の作品は非常に繊細で豪華

 二代目浄益以降の当主も浄益であり、その名前が今でも続けられているということです。当代は、京都市立第二工業高校を卒業しており、1940年に中川の名を襲名しています。中川家の作品は非常に細工が細かく豪華であり、錺師などとも言われています。金工の精巧な茶道具を制作することでも有名で、鉄を鍛造して制作する槌物を主体としていますが、その他にも多くの作品を手掛けています。中川家初代は紹益を名乗っています。茶道具を作ったきっかけとしては、千利休の依頼・指導により薬鑵を制作したことだったようです。この作品を契機に、家業となる茶道具をはじめます。2代目から浄益と名乗るようになるのですが、これも表千家四代江岑宗左より、豪商佐野紹益と名前が紛らわしい、という理由で浄益となったようです。

波乱万丈であった中川家

 中川家の中でも最も名が高いのが、3代目と言われています。技術的に困難であった砂張という技術を完成させて、素晴らしい鋳物を残していたようです。そして、4代目となると息子が3人生まれたため、家をあげて制作に勤しみ、全盛期となりました。しかし、5代目の頃に天明の大火にみまわれてしまい、その結果、過去帳1冊以外のすべての家伝・家財を消失してしまう災難にあいます。さらに、6代目は啐啄斎の機嫌を損ねたとして、一時表千家出入りを禁じられてしまいます。ここから、裏千家との付き合いが始まったようです。しかし、了々斎の代からは許されています。その後、厳しい時代が続きますが、10代が第一次世界大戦勃発による軍需景気にのり負債を完済し、中川家が再建されました。今後も、数多くの名品が発見されるだろう、中川浄益は茶道具買取でも注目のひとりです。

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