久田家[二世]_宗利_受得斎

久田家[二世]_宗利_受得斎

久田家[二世]_宗利_受得斎

 久田家二世宗利は、本間家という家へ養子に入っており、本間利兵衛を名乗っていました。その後、再び久田姓に戻ったようですが、そのいきさつについて知られていることはまったくありません。久田家の記録は江戸の大火でほとんどが焼失しており、宗利についてもその名を見ることのできる記録はごく限られているからです。
 その限られた記録のひとつが表千家に伝わる家系図です。これは利休の祖父、田中千阿弥に始まり、八代啐啄斎まで記されたものですが、ここに久田家の家系図が一部含まれています。というのも、利休の妹が開祖久田実房に嫁入り、宗旦の娘が宗利に嫁入りしたというだけでなく、久田家は千家と密接に関係しているからです。表千家の五代随流斎六代覚々斎九代了々斎・十代吸江斎が久田家からの養子で、千家の後を継いでいます。その最初の記述に宗利が、本間利兵衛の名で書き込みされ、宗旦の娘クレを娶ったと記録があります。

 宗利の弟に藤村庸軒がいます。庸軒は呉服屋に養子に出されましたが、薮内剣仲、小堀遠州、金森重近から茶の湯を学びました。その後宗旦に弟子入り、台子伝授を許されるまでになり、山田宗偏らと並んで宗旦四天王のひとりに数えられています。そして、後になって庸軒流の茶流を開くことになるのはご存知の通りですが、こうした庸軒の事跡にも関わらずその記録に兄である宗利はまったく登場していません。
 それ以外にも宗利自身の茶の湯についての記述、関連記録は残されていないという状況で、茶の湯への直接的な貢献はおろか、茶の湯自体に触れることがまったくなかったのではないかとも言われています。とはいえ、息子に久田家三世を継ぐ宗全と、表千家五代を継ぐ良休宗左がいることから、千家の業躰としての久田家の今日を作るきっかけとなったという意味で宗利の役割は大きかったともいえます。

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