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久田家[初代]_宗栄_生々斎

久田家[初代]_宗栄_生々斎

 久田家の祖は室町時代末期、佐々木義実の家臣、久田刑部少輔に求められます。佐々木候から実の字を賜り、後に久田実房を名乗り、記録がなく口伝だけとなりますが、千利休の妹、女宗円を娶ったそうです。その息子、利休の甥にも当たりますが、久田新八房政が茶家としての久田家の初代となりました。実は、久田家には歴代や家系などの記録がほとんど残っていません。江戸時代にあった2度の大火によってそのほとんどすべてが失われ、わずかな茶道具と口伝が残されているばかりとか。現在に伝わる久田家の歴史、歴代については、楽家に若干残る文書から取られています。
 そんな状況の中、初代宗栄の名前が見える記録は2、3しか知られていません。ひとつは、『石山本願寺日記』にある『宇野主水日記』です。天正12年のころ、堺政所の松井友閑に使いを出した。その使いは宗栄である、という記述が見られますが、これが久田宗栄であるかどうかは疑問が残るとされています。もうひとつは北野大茶湯に関する記録です。とはいえ、これは天正年間当時に書かれた記録ではなく、久田家五代の宗悦が書いた『北野大茶湯記録』で、時間にして200年近くの違いがあります。従って、宗栄が北野大茶湯に参加したのかどうか、本当のところは分かりません。しかし、小堀家に残る北野大茶湯についての記録と突きあわせると間違いではないという見方もあるそうです。いずれにしても、宗栄は北野大茶湯に参加したばかりか、無準禅師の一字書「湯」を掛けて懸釜をしたということになっています。さまざまな状況証拠から鑑みると、臣従していた佐々木家が没落し、20代のころには剃髪し引退、隠遁しているようです。宗栄の法号はこのときに付けています。
 当然利休から茶の湯の指導を受けたこともあったでしょうし、利休の妹である母宗円からも厳しく指導もあったでしょう。また、一説では父実房もまた茶の湯に通じていたという話もあり、恐らく多くの人々から茶の湯の教えを受けたのでしょう。

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