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古書 斉藤茂吉

斉藤茂吉

歌人としてだけでなく、精神外科医としても活躍を続けた人物、骨董買取・斉藤茂吉。昭和前期にかけてのアララギの中心的人物として広く知られています。そんな斉藤茂吉は、1882年に守谷伝右衛門熊次郎の元に三男として生まれています。山形県南村山郡金瓶という小さな村に生まれた斉藤茂吉は、小学校卒業後の進学の資金が足りず困窮を極めた生活を送っています。そのため、寺に弟子入りをするか画家になるかの二者選択で悩むこととなります。しかし、東京・浅草で医院を開業した斎藤紀一に、跡継ぎとして養子に迎え入れられることとなるのです。そして、その跡継ぎになるという道をぶらすことなく懸命に勉学に励んだ斉藤茂吉は、医師として同医院で働き続けます。そして、紀一の次女である輝子と結婚することになり、正式に斉藤家の婿養子として迎え入れられることとなったのです。しかし、都会育ちで派手好きな輝子の性格とは合わない部分も多々有り、結果的には別居をしてしまっていたと言われています。守谷家は、この当時宝泉寺の檀家ということで、茂吉も住職佐原窿応の薫陶を受けていました。結果的に、第一歌集である「赤光」の題名は「阿弥陀経」にちなんでつけられていると言われています。斉藤茂吉は中学時代、高校時代と共に歌人に感動を受けており、歌人を志しています。そして、それは青山脳病院院長の職としての地位でありながらも、熱心に活動が続けられ、ドナウ源流行、念珠集、童馬山房夜話などの優れた随筆も多数残しています。その文才は広く文化人にも認められており、宇野浩二、芥川龍之介なども唸らせていたといいます。斉藤茂吉が生涯で生み出し続けていった作品の総数は全17冊の歌集に、全17,907首となります。精神病院の医者としての生業を大切にしていながらも、作品作りに心をほぼ割いていたと息子の北杜夫が話しています。古書買取においても、斎藤茂吉の作品は非常に人気があります。不遇な幼少時代を過ごしながらも、その逆境に負けることなく素晴らしい人生を送っていった斉藤茂吉。彼の人生こそ、深い作品を生み出す肥やしになっていたに違いありません。

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