国吉康雄

国吉康雄

洋画家、国吉康雄は、1889年、岡山県で生まれました。当時の明治政府が移住を奨励していたこともあり、1906年、17歳の若さで職を求めてアメリカに渡りました。アメリカに渡ってしばらくの間、国吉はロサンゼルス近辺で肉体労働に従事していました。そのとき通っていたロサンゼルスの公立学校で、絵でコミュニケーションをとろうとする国吉を見た美術教師は、美術の道に進むようアドバイスします。アドバイスを受けた国吉は、1910年にニューヨークに渡ります。ニューヨークはアメリカ人社会です。この移住は、「アメリカ人として画家になりたい」という国吉の意志の表れだったと言われています。ニューヨークでは、絵の夜間学校、アート・スチューデンツ・リーグに通いながら画家を目指しました。アート・スチューデンツ・リーグでの先生、学友との交流は、技術力を向上させただけでなく、彼のなかに「画家としての哲学」を深く根付かせていきました。苦労しながらも、1920年代に入ると新進気鋭の画家としての評価を勝ち得て、国吉は1922年に初の個展を開きます。1929年には、ニューヨーク近代美術館による「19人の現代アメリカ画家」に選ばれる栄誉に輝きました。画家人生の初期には、子供や鳥、牛などの素朴なものを好んで描いていましたが、徐々に、娼婦やサーカス芸人のように社会の底辺で生きる人々を描くようになっていきます。そして、日米開戦。ほとんどの日本人が収容所に隔離された中、友人たちの助けにより、国吉は収容所行きを免れましたが、それがかえってアメリカ社会の息苦しさ、つらさを国吉に体験させることになりました。1948年、ホイットニー美術館で、存命中の画家としては初の回顧展が開催されます。 1952年、アメリカ代表作家の一人としてのヴェネツィア・ビエンナーレに出品し、名実ともにアメリカ美術を代表する画家として確固たる地位を築き上げました。一方で、第二次世界大戦中には、日本人であることから、活動を制限されました。最後まで取得を熱望していたアメリカ市民権を手にすることなく、国吉は1953年に亡くなってしまいます。罪のない芸術家を終生苦しめた、戦争に悲惨さを思わずにはいられません。

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