大樋焼[五代]_勘兵衛

大樋焼[五代]_勘兵衛

勘兵衛

 五代目勘兵衛は大樋焼中興の祖と呼ばれます。作陶上の技術や取り組みはもちろんのこと、大樋家の格も五代目にして上がるなど、さまざまな足跡を残しました。
 まず、五代目から正式に帯刀を許され、武家扱いとなったことが上げられます。先代は扶持をもらいながらも武士としての仕官はしていませんでした。しかし、五代目は御器御用という焼物師としての役目のほか、金谷御殿御用、二の丸御広敷御用といった武士の役目を授かりました。先代と同じく二人扶持でしたが、その後、町奉行宮崎信次郎御書立を手がけ、その趣が格別のため半役の免許を授かっています。また、江戸表の本郷御邸に将軍徳川家斉候が御成りの際には御器御用を務めるなどさまざまに活躍しました。
 作陶の道では、黒釉(一説には四代とも)、白釉、絵付、黒釉への金の象嵌など、次々と新たな技法を試み、確立させていきました。特に黒釉の茶碗はスケールの大きさ、景色の豊かさ、技法の確かさなどが高く評価されています。代表的な黒釉茶碗を見ると、内に抱えられた口辺、軽く絞った胴、たっぷりとした腰が五代目の特徴と言えるでしょう。絵付は、先代が白泥で梅文や松文を入れ、水指では桐の葉を線画で描いたものを作りましたが、本格的な絵付は五代目からと見てよいでしょう。飴釉蟹絵茶碗、色絵海老文茶碗などが知られていますが、どちらも非常に生き生きとした生物の姿が描かれています。絵のみならず造形にも優れた手を持ち、交趾写台牛香合や、亀の洲香合などの品では、それぞれ横たわりのんびりとする牛、うねる波間の洲で泰然と過ごす亀の姿を本物さながらに彫刻しています。このように絵画、造形、焼物、すべてに通じていたのが五代目だったといえそうです。
 また、晩年には塗師の中村宗哲が利休好みの鷲棗を作り、五代目がブリブリ香合を作り、藩侯に献上し、金五百疋を拝受しています。そのほか、弟子の育成にも熱心であったと伝えられています。後になって明治時代に大樋焼の本流が廃窯した際には、五代目が育てた高弟の加登屋政吉、加登屋吉右衛門、安江屋五十八の子孫たちがその道統をよく守りました。その意味でも五代目の功績は大きかったといえるでしょう。

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