宗偏流[一世]_周学宗偏

宗偏流[一世]_周学宗偏

周学宗偏

 宗偏流(偏はぎょうにんべん)を起こした開祖宗偏は千宗旦のいわゆる宗旦四天王の一人です。京都の長徳寺に生まれ、一時は住職を継ぐも茶の湯に惹かれるあまり還俗したという経歴の持ち主です。
 幼い頃から漢籍はじめ諸学に通じ、教養学識に優れていたこと、また、生まれつき手先が大変に器用でもあり、茶の湯に多くの足跡を残しています。還俗して当初は小堀遠州に師事、その後宗旦の元で修行します。宗旦の極限まで推し進めた侘び茶をよく学び、後に藤村庸軒、杉木普斎、久須美疎安とともに宗旦四天王のひとりに数えられるほどになります。自身は仕官に興味を持たなかった宗旦ですが、息子はもちろん高弟たちの仕官への尽力を惜しまない人でした。宗偏も宗旦の推挙により30歳になる頃、三河吉田藩小笠原家へ出仕することになりました。 当時、宗旦から皆伝を授かり、その祝いに利休伝来の四方釜を拝受したことから「四方庵」の茶号を授かっていましたが、小笠原家出仕の際には宗旦から千家の庵号である「不審菴」「今日庵」を許されています。
 この小笠原家に40年に渡って仕えた後、71歳にして江戸に下って本所に茶室を営み、江戸の武家や町人たちに茶の湯を教え、82歳でこの世を去りました。

センスの良さ、優れた人柄を感じさせる作品

 茶の湯に残した足跡で最大のものが千家伝来の茶の湯の作法を示した『茶道便蒙抄』を出版したことでしょう。これは利休百回忌にあわせて出されたもので、もともと千家は茶の湯の教えを書き表す伝統がなく(一部の手紙などを除き)詳細な文字資料がありませんでした。その意味で、この『茶道便蒙抄』は、川上不白の『不白筆記』、楽只斎『敝帚記』と並んで近世茶道の流れ、教えをよく伝えるものとして高く評価されています。宗偏の茶の湯の真髄は、究極的には形に還元されていく無駄をそぎ落とした侘びの心です。生来手先が器用で非常に優れた茶碗、茶杓、花入を残しており、付けられる銘もまた教養にあふれた洒脱なものばかりです。その学識の深さ、品のある茶道具、センスの良さ、優れた人柄を感じさせます。

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