宗偏流[七世]_宗寿

宗偏流[七世]_宗寿

宗偏流[七世]_宗寿

 宗偏流と、宗偏流時習軒派の関係は、千家と久田家のような関係であったと言えるかもしれません。また、ともに茶道では珍しい女性の家元を立てているところも共通しています。
 その宗偏流の最初の女性宗匠が、七世を継いだ宗寿でした。先代宗学が嗣子のないままこの世を去ったのですが、幕末から明治の動乱の時期に、細腕をふるって宗偏流の道統を守りました。代をついで5年後に明治維新が成立、廃藩置県が進む中で小笠原家が解体され、茶頭職も消滅、禄を失います。この苦難の明治初年の頃に一時東京へ出たとも言われていますが、すぐに唐津に戻っています。そして唐津では再び後進の育成と茶の湯の普及に努め、人望も厚く、多くの門弟たちとともに宗偏流を護持しました。その門弟の一人に、後々まで宗寿に仕えた中村宗珉がいます。宗寿は女性ながら非常に多才な人物であったそうで、道具の好みはもちろんのこと、自らも書画を能くし、作庭や茶室作りにも大いに才能を発揮しました。
 その代表的なものが、旧大島邸の茶室「敬日庵」です。黒檀をぜいたくに使った、堅牢で侘びた風情を出した美しい茶室です。旧大島邸自体、近代和風建築として非常に歴史的・史料的価値もあるが、一時取り壊されることが決定されます。その後、保存を望む声が多く上がったために移設保存となりました。
 明治12年ころ、再び唐津を離れ東京、日本橋浜町に居を構え、晩年はここで茶の湯の教えに勤しんだそうです。余談ですが、大層芯の強い女傑であったとも伝えられています。東京に移り住んだ後、向島に建てた草庵に夜盗が押し入ったことがありました。この夜盗たちに対し、宗寿は毅然として「茶道具は代々当家に伝わるものゆえ与えることはできない。他のものは存分するが良い」と申し伝え、下女たちとともに衣類などを荷造りしてこの賊に与えたとか。そんな宗寿でしたが、逝去の後40年余り家元不在の時期となります。

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