小堀流[七世]_小堀政方_宗友

小堀流[七世]_小堀政方_宗友

小堀流[七世]_小堀政方_宗友

 七世政方は五世正峯の実子に当たります。兄たちが次々と夭逝したために健康に不安があるとされ、10歳を過ぎるまで嫡子と認められず、その後、短い期間代を守った六世正寿に替わって跡を継ぐことになりました。
 政方在世中の出来事に、ひとつは大名家としての小堀家の終焉があります。家督相続後、父同様伏見奉行職を務めますが、この時、藩財政が行き詰まり、御用金を不正に取り立てる不祥事が家内で起きる事態が発生してしまい、その責を負って伏見奉行職を罷免されました。この時、幕府の権勢を握っていたのは老中の田沼意次。政方は田沼派に属していたために罷免で済んでいましたが、田沼意次が失脚した2年後に、この時の不正を理由に改易となり、小田原藩預かりという身分になってしまいました。ここに武家としての小堀本家が断絶となります。
 改易されてなお政方は、小田原にても茶の道に邁進を続け、小田原藩茶頭、冨岡友喜と親交を深めます。時代は町人文化爛熟の時を迎え、茶の湯も、千家に見られるように町人向けに様式を大きく変えていこうとしていました。

利休来の古流を伝えるのは小堀流

 しかし、政方は冨岡友喜とともにこの時勢を茶の湯の乱れとして嘆き、古流の伝達に務めんとします。この時に編纂されたのが『喫茶式』『数寄記録』二冊の伝書でした。利休来の古流をもっともよく現在にまで伝えているのは、一説によると小堀流ともされていますが、それは、この文化が大きく動いた時代に、しっかりと遠州茶道をまとめ、次代に託さんとした政方のおかげだったのかもしれません。
 政方は預かりの身ではあったものの、小田原でも多くの作品、茶道具を残し、その多くが現在に伝えられています。断絶した小堀本家でしたが、後に六世を守った正寿の息子が小堀仁右衛門家から武家へと取り立てられ、旗本として小堀本家の再興を果たしています。最晩年、小田原藩から御免となり、その後は小堀の同族のもとに身を寄せていた政方は、残念ながら、その姿を見ることなくこの世を去りました。

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