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小堀流[六世] 堀正寿 宗延

小堀流[六世] 堀正寿 宗延

 現在、小堀流六世とされている正寿宗延は、昭和48年に改めて世代として認められた宗匠です。つまり、それまでは六世とは認められていなかったのです。それは先代宗香が嫡子に恵まれず、次々と子どもたちが夭逝したために急遽取られた養子であったこと、養子入りしてから生まれた七男正房が代継ぎには幼かったこと、そして代わって代を守った時間がわずか5年と非常に短いことなどが理由に挙げられています。

翻弄された青年期

 生まれは、小堀遠州の弟、仁右衛門正春が興した小堀仁右衛門家。その四代目にあたる惟春に、宗香の娘が嫁入りし生まれたのが正寿です。したがって、養子入りした際には宗香の孫で子でもあるという関係でした。生年には諸説あり、経歴の詳細にも不明な点が多い宗匠です。しかし、寛保2年に養子入りし、その6年後の寛延元年に将軍にお目見えしていることからその年に小堀本家の後継ぎとして正式に認められたことが分かっています。
 養子入りした年に正房が誕生しています。先述の通り宗香の嫡子は幼少のうちに次々と逝去しており、正房もすぐには嫡子と認められず様子見となりました。その後10年様子を見た結果、改めて嫡子として認める動きになり、幕府に願い出て10歳での家督相続を特別に許可されています。このとき、正寿は18歳とも27歳とも伝えられています。しかし、いずれにしても若年であることに違いはありません。
 家督を譲った正寿は、その後、領内に住んでいましたが、やがて実家の小堀仁右衛門家に戻り、余生を過ごしたとあります。こうした相続にまつわる騒動は大名家ならではのことで、時代とはいえ、ずいぶん翻弄された青年期であったと言えるでしょう。茶の湯は宗香から指導を受け、相続後も小堀家茶頭・富岡友喜らとの親交も続き、長く遠州茶道を修めたと言われています。結果的には急場の中継ぎのように歴史の波間に消えてしまった茶人で、わずかな点数残された書以外に記された功績もないのですが、代を守った宗匠として認められています。

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