小堀流[十世] 小堀正快 宗有

小堀流[十世] 小堀正快 宗有

 十世宗有は苦難の多い時代に生きた宗匠です。父宗本45歳の時の子であり、父は7歳のときに、祖父宗中を10歳のときに亡くし、小堀家茶頭の和田晋兵衛とともに遠州流を守り抜き、次代への道を拓きました。
 明治時代は茶道にとって苦難の時期でした。徳川家の恩顧も厚かった小堀流は、旧弊を払おうとする明治の世では、逆風も強かったでしょう。明治時代になってからは、一時徳川家から執事長として仕えるよう要請もあったそうですが、宗有は「いつまでも徳川家の世話になれない」とこれを断り、役所勤めをして糊口をしのいでいた時期もあったそうです。




明治から昭和初期の茶の湯の苦難を支えた小堀正快

 宗有の功績は、遠州の茶の道を一般に広めたことでしょう。もともと小堀流は利休から織部、そして遠州へと託されてきた武家茶道です。その格式は町人茶道となった千家とは違うという認識がありました。その教えから広く門戸を開けることに対しては反論も多かったようです。実際、当時を知る小堀家の者は、「格式が高く、一般には広まりにくかった」と明治の苦難の時を振り返っています。
 当時、枢密顧問官を務めていた石黒忠悳(石黒況翁)子爵の勧めがあり、広く茶道を相伝する道を選びました。石黒忠悳は、その後も小堀家の有力な後ろ盾となり、明治から昭和初期の茶の湯の苦難の時期を支えています。小堀家伝来の茶道具はその当時も多く残されており、日本美術協会の前身である龍池会が主催する「観古美術会」の第二回開催(明治12年)では、伝来の道具を多く展示しています。
 この観古美術会は、明治の世にあって日本伝統の工芸的製作が衰退していくことを憂いた芸術家、知識人たちが開催したもので、当初は会員の収蔵する品々を展示するばかりであったのですが、後に上流諸家、宮内省御物をも借り受け陳列し、広く一般に縦覧を許したというものでした。総裁には有栖川宮熾仁親王を迎えたため、第二回開催時には親王殿下妃も臨席しており、妃殿下とともに臨席した大臣参議に宗有が遠州の茶を披露、名声を博したと記録に残されています。

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