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「小堀流[四世]_小堀政房_宗瑞」
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小堀流[四世]_小堀政房_宗瑞

小堀流[四世]_小堀政房_宗瑞

 小堀流四世、宗瑞は歴代中もっとも若くしてこの世を去った宗匠です。享年わずか29歳。しかも、先代宗實が若くして世を去ったため、わずか10歳での跡目相続となっています。家督相続が済まないうちに先代が逝去した際には「跡目相続」となりますが、大久保氏、阿部氏、戸田氏といった譜代の名門が連署して後押しし、江戸城にて跡目相続を認められていることからも、いかに小堀家が幕府の中で重要視されていたかが窺えます。また10歳にして、相続とともに幕府御用番に就任しています。

若いながら有職故実にも長けていた

 宗瑞は子どものころから非常に利発で、元服前から江戸城内で老中ほか大名たちから大変かわいがられたそうです。また、それらの大名たちのお役目をよく助けたという記録もあり、幼いながらその才気煥発ぶりが見られます。元服後、20歳のころに将軍御小姓に取り立てられ、21歳にして城内と将軍の御前にて、都合三回論語の講釈をしたという記録が残されています。漢籍は当時の武家の嗜みだったとはいえ、講釈を請われるほどの見識を持っていたことは驚愕すべきことです。こうしたこともあってか、将軍の愛顧も優れ、将軍が用向きで外出する際には必ずお供したそうです。
 その信任は非常に厚く、25歳で流祖遠州と同じ従五位下遠江守、諸大夫に任じられています。また、叡山の御宮火の御番や、日光御祭礼奉行を務めるなど、若いながら有職故実にも長けていたことをうかがわせます。父が早世したため、茶の湯の指導を十分に受けることはできず、代わって小堀家の茶頭を務めていた桜山一有と、一門で大叔父にあたる小堀土佐守政武からも茶を学んでいます。大叔父の土佐守から教えを受けることは遠州直系の教えを教わることでもあり、茶風に与えた影響は大きかったと推察されます。ちなみに弟で後に五世となる正峯も、共に教えを受けていたと記録に残されています。
 道具について伝わるところはほとんどありません。ただ、書画に才能があり、本家に伝来するものがわずかですが現存しています。