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山本鼎

山本鼎 漁夫

洋画家・山本鼎は1882年愛知県岡崎市に漢方医の父の長男として生まれました。彼の父は、森鴎外の父の静男が経営する病院に、書生として住み込んでいました。そのため、母とともに上京して、浅草に住みます。尋常小学校4年を卒業し、芝の木版工房に弟子入りして、版画を始めます。鼎が16歳のとき、父は上田市で医院を開業します。上田は鼎の第2の故郷となりました。20歳になると、東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学。1904年に与謝野鉄幹主宰の「明星」に「漁夫」を発表しました。生活感がにじんだ現実的な従来の版画にない新鮮な作品で一躍注目されました。それは、絵を描いて、彫り、印刷するという3人でやることをすべて1人でするという画期的な創作版画と言われました。1912年、鼎は「パンの会」の発起人でもあり、みずからも下宿をしていた石井柏亭の妹との結婚を石井家の人々から反対されたことがきっかけになり、パリへ留学しました。木版画や洋画を描き、エコール・ド・ボザールのエッチング科にも通いましたが、貧困の生活が続きました。パリでの収穫は、島崎藤村と親友となり、彼の「新生」に鼎はモデルとして登場しています。フランスで得たものは現実であると山本鼎は後に言っていました。パリの留学からの帰途、モスクワ経由で帰ったが、6ヶ月程度モスクワに滞在し、その滞在中、北原白秋と仲のいい人と出会って、後、北原白秋の妹、家子と結婚します。ちなみに、山本鼎は子供に自由に絵を描かせる自由画運動を推進しましたが、そのとき、描きやすい画材の研究をして、クレバスを考案したことでも有名です。自由画運動とともに、農民の文化と思想を向上しようと農民美術の運動で、彼は大正デモクラシーの先駆けとしてもしられています。漁夫はリアリズムの生活感がにじむ作品でしたが、パリに留学したときの作品は、「フランス田舎の春」や「湖畔の春」「ブルターニュの夏」など、色彩も明るく、穏やかになったように見えましたが、心中は穏やかでなく、結婚を反対された光子のことを思う日々であったようです。山本鼎の死後、日本農民美術研究所で学んだ人たちが山本鼎の記念館の建設をという運動が起こって、長野県の教職員や篤志家、団体から寄付があり、県からの補助金も出され、1962年上田市の上田公園内に山本鼎記念館が完成しました。個人のものとしては大規模です。運動家としての鼎も作品と同様に地元の人々に愛されているのです。

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