掛軸 岡田半江

岡田半江

掛軸 岡田半江は、1782年に生まれた日本画家です。文人画家でもある岡田半江は、岡田米山人の子としても広く知られています。その名も様々であり、名は粛で字は子羽、号は半江や子米、さらには無声に寒山、独松楼、寒山外史、墨江老樵など相当な数あったと言われています。結果的には、通称を宇左衛門、父が亡くなった後には、彦兵衛を襲名することで落ち着きます。岡田半江は、大阪で米やを営む自宅に生まれます。父に溺愛されて育てられた事もあり、性格、作品共々に愛情深い優しさを感じさせるものが多いのも特徴かもしれません。幼少の頃から、父の教えの元、画作を作って行きます。父の影響も大きかった反面、自宅に出入りする文人墨客に刺激を受け続け、徐々にその書画への造形を深めて行く事になります。日々、精進をしていく中、文政年間に相次いで両親を失い、稼業の米屋を継いで米屋彦兵衛を襲名。しかし、文政年間には両親と死別、結果的には家業の米屋を受け継ぐカタチとなっていった。しかし、絵画や書などへの愛情はうしなわれる事は無く、父と同じく藤堂藩での下役として仕え続けると同時に、文人画家としても活躍の場を広げて行っています。様々な困難も起こる中、頼三陽の死に大きく落胆をしてしまうことで、米屋を自らの息子に譲ってしまいます。結果的には天満橋東辺の淀川畔に、新しい邸宅を構え、様々な書画を買い求め、隠居生活を決め込む事となります。ただ、文人画家としての名前が世に広く知れ渡っていた岡田半江には、友人も多く、田能村竹田が足繁く訪問したりと、文人サロンのような扱われ方をしていきます。その後も、大阪が戦火などに教われる事で、自宅、収集した作品などが焼失しますが、1838年頃からは、創作意欲を持ち直し、「江村烟雨図 絹本淡彩」などの傑作を生み出すような文人画家としての充実した活動を送る事となったのです。66歳という若さでの死でしたが、彼の残す作品と生き方というのは、現代の美術家達にも大きく影響を与え続けていることでしょう。

銀座本店
〒104-0061
東京都中央区銀座5-4-15 西五ビル1F

大阪本店
〒556-0011
大阪府大阪市浪速区難波中3-16-5

銀座店
〒104-0061
東京都中央区銀座5-4-14 銀成ビル1F

横浜本店
〒231-0023
神奈川県横浜市中区山下町25-2
インペリアルビル 1F

名古屋本店
〒460-0002
愛知県名古屋市中区丸の内1-10-19
サンエイビル 1F

京都本店
〒604-8142
京都府京都市中京区錦小路通東洞院
東入る西魚屋町612-12

※9/21(木)に限り、16:00~臨時休業とさせていただきます。

広島本店
〒730-0004
広島県広島市中区東白島町
19-83 1F

博多本店
〒812-0013
福岡県福岡市博多区博多駅東2-2-13
博多駅前ビル1F

北海道[札幌/函館]
東北[青森/岩手/宮城/秋田/山形
      /福島]
関東[東京/銀座/神奈川/横浜/埼玉
      /千葉/茨城/栃木/群馬/山梨]
信越[新潟/長野]
北陸[富山/石川/福井]
東海[愛知/名古屋/岐阜/静岡/三重]
近畿[大阪/難波/兵庫/京都/滋賀
      /奈良/和歌山]
中国[鳥取/島根/岡山/広島/山口]
四国[徳島/香川/愛媛/高知]
九州[福岡/博多/佐賀/長崎/熊本
      /大分/宮崎/鹿児島/沖縄]

古美術八光堂本社ビル

株式会社 古美術八光堂
大阪本社ビル

大阪市浪速区難波中3-16-5

ページトップへ