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掛軸 川合玉堂

川合玉堂

明治期から昭和期にかけて活躍した掛軸画家 川合玉堂。写実性の優れた玄妙かつ功名な作品を描くことでも有名です。日本の自然をこよなく愛していった川合玉堂は、風景画を中心に作品を重ねており、その情緒溢れる作品には今も尚、刺激を受け続ける人々が溢れて止みません。 そんな川合玉堂は、1873年に愛知県葉栗郡外割田村で、父は川合勘七、母はかな女の長男として生を受けています。14歳の時に、岐阜尋常高等小学校を卒業しており、その後は青木泉橋の紹介状により、京都望月玉泉の門下生として、絵画を学び始めます。勧業博覧会出品など、様々な出品を重ねたり、幸野楳嶺の塾、大成義会などでの活動など画家として良いステップを踏んで行きます。 しかし、岐阜県と愛知県で大地震が発生してしまい、結果的に父が亡くなってしまいます。残された、川合玉堂は母とともに京都に行くことになり、結果的に油小路御池上ル照円寺境内の離れを借家として生活をすることになっていきます。 しかし、その2年後には母も他界します。しかし親戚の大洞家次女富子と結婚をし、長男を設けます。絵画への情熱が薄らいでいた川合玉堂なのですが、京都開催の内国勧業博覧会で出品されていた、橋本雅邦の「龍虎の図」、「十六羅漢」を見ると、心を打たれ、また絵画への情熱が溢れ返って行きます。 その23歳の頃、ついに東京画壇として自らの芸術人生を開花させていくこととなります。川合玉堂の作品は、円山に四条派、狩野派が見事に融合されています。日本の四季独特の美しさを表現し、情趣豊かでありながら、繊細で写実的に描くという独特の世界観を持って作品を創作し続けます。数々の賞を受賞する中、67歳にて、文化勲章を受賞することとなります。常に芸術と向き合い続けた川合玉堂ですが、84歳の時に心臓喘息病の悪化により他界します。繊細な川合玉堂の絵画は、初期に晩年問わず掛軸買取で高い人気を誇っています。また、風景画にも常に高値で取引がされています。数々の苦難を乗り越えて行き、自らの芸術を昇華させていった川合玉堂。人生の全てを芸術に注いだ、生きる芸術として永遠に語り続けられるでしょう。

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