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「掛軸 望月玉泉」
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掛軸 望月玉泉

望月玉泉

掛軸・望月玉泉は代々、日本画家の家系である望月派4代目として1834年京都で生まれます。望月派は、望月玉蟾(1692~1755)を祖として代々御所への出入りを許され、御用絵描いてきた由緒ある家系です。玉泉は祖父・望月玉蟾に6歳の頃から絵の手ほどきを受け、16歳の頃から父・玉川に画法を学びます。詩文は巌垣六蔵に学んでいます。1845年、13歳で菊亭家に仕えながら、伊勢、駿河などを周遊し、写生を繰り返し丸山派と四條派を取り入れた山水・花鳥画を描き、京都画壇に認められるようになりました。1855年、京都御所造営で襖絵「有虞両妃図」を描きました。1868年の明治天皇即位の際には「岩藤熊萩野猪図屏風」を献納したことで一躍有名になりました。1880年に幸野楳嶺らと京都府画学校を設立し、東宗の副教員として指導にあたりました。1882年、印刷局、博物局から正倉院御物の模写を命ぜられ、内国絵画共進会より絵事功労の褒章を受けました。地元の京都博覧会でも幾度も受賞しています。1888年に「平安百景会」のスポンサーとなり、会主として京洛の名勝百景を選出し、多くの画家を取りまとめ、後に続く人材の育成に注力しました。1891年には普通学校の教材「玉仙習画帖」全三巻を刊行し、上京区室町丸田町下ルにあるが塾で跡見玉枝など、たくさんの弟子を育てました。1889年、パリ万国博覧会に「雕養雛図」を出品し、銅賞を受賞します。1896年に日本絵画協会が設立されると、その第一回展に門下生の跡見玉枝、河合玉堂らと出品し「宇治川上流紙漉秋景」で一等褒状となります。1987年の第二回共進会にも「孔雀」を出品しています。1904年にパリ博覧会で受賞した「雕養雛図」が好評を受け帝室技芸員を拝命しました。晩年は花鳥絵に専念し、「花卉鳥獣図巻」「湍淵遊鱗図」「芦雁図」「黒牛図屏風」など数々の作品を残しました。1913年に80歳で生涯を閉じました。

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