掛軸 村上華岳

掛軸 村上華岳

村上華岳

村上華岳は大正、昭和時代の近代的日本美術の代表とされる掛軸画家。本名は武田震一、村上家の養子になり村上震一となります。代表作品は「夜桜之図」「日高河清姫図」「中国列仙伝全十六幅」「観世音菩薩施無畏印像」など。明治二十一年大阪生まれ。家庭の事情で幼い時期に両親の元を離れて神戸にある村上家に預けられます。小学校は神戸にある学校に通います。その後、13歳の頃の時に父親が亡くなり母親も再婚で行方が解らなくなってしまいます。その為、まだ少年だった村上華岳は武田の家督を継ぐ事となります。3年後、武田は廃家の許可がおり村上華岳は養父母の村上を名乗ることに。父方祖母は池上雪枝。日本初の感化院と言われる「池上感化院」を自宅で設立した人です。

「制作は密室の祈りである」

村上華岳の描く線には、独特の感情が入り混じりまた、無限の精神力が感じられませんか?「制作は密室の祈りである」という彼の言葉に芸術の厳しさと恐ろしさを感じます。昭和41年頃、村上華岳は文展出品を開始。専門の卒業制作で「早春」(後「2月の頃」と題名を変更)は、京都にある吉田山より銀閣寺方面を眺める形で田園の風景を描写している作品。遠近法を使用して描かれた「春」は後の第5回文展の時に褒状を貰っています。「阿弥陀之図」は村上華岳にとって初めての仏画で、これは第10回目文展で特選をとっています。専門時の同窓で若手の日本画家、村上華岳、榊原紫峰、野長瀬晩花、土田麦僊、小野竹喬は『国画創作協会』を設立。『国画創作協会』は文展の審査の在り方に疑問をもった若い画家が西洋・東洋美術の融合を試み「新しい絵画を創世せん」と目指した会。 美術史上にとって近代日本画革新運動として『国画創作協会』は代表的な物と重視しています。国画創作協会の第2回目文展に村上華岳が出品した「日高河清姫図」は彼の代表作の一つに数えられる事になりました。そこで出会った仲間たちはそれぞれ渡欧し、世界を広げるのですが村上華岳は持病である喘息が悪化した為、渡欧を一度断念。その後、京都から兵庫へ移住し、その後は神戸へ移住。京都から距離を置いた村上華岳は個性的な牡丹図や山水図等、水墨とプラチナ泥を併用し、仏画等も残しています。持病があった為、小品が大半となり、色彩も鮮やかな物よりもモノクロに近い物が多いです。

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