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掛軸 田能村直入

田能村直入

治期の南画界において、重要な存在であった画家、掛軸買取 田能村直入。国内の南画の未来をより発展させるべく奔走したその姿は、現在でも多くの人々の心に刻み込まれています。文人画家として才能を発揮した画家の田能村直入は、1814年に大分県の岡藩士三宮伝右衛門の三男としてこの世に生を受けます。 絵画との出会いは必然であったのか、伯父渡辺蓬島が、なんと田能村竹田の幼児期の師であることから、僅か9歳の時に画塾に入塾。絵画を学んで行くこととなります。幼少の頃から類い稀なる才能を持ち合わせていた、田能村直入はすぐに将来を期待されることとなり、養嗣子となります。 絵画だけでは無く、様々な文化に触れ、体験しながら身に着けていった田能村直入。何と、画の他にも儒学、漢詩、表千家茶道、香道、東軍流の剣術なども身に着けていったそうです。そうした精力的な文化活動をしていった田能村直入は、大阪の境に27歳で落ち着きます。その時に、詩社咬菜吟社を設立することとなり、結果的には門人を300人以上抱える有名塾となったのです。 大坂天王寺修復に羅漢像五百幅を寄贈したりと、絵画方面でも活躍をしていますが、煎茶の普及にも尽力したようで、「青湾茶会」という煎茶席を主催しており、大盛況だったいいます。数々の活動を経て晩年の63歳の頃、京都博覧会開催に尽力し、作品を出品・受賞しています。 また、天皇の行幸のとき御前にて揮毫するなど画家として、非常に崇高な扱いを受けていました。京都府画学校の設立を経て、私塾南宗画学校を設立します。1896年には富岡鉄斎に谷口藹山らとともに、新しい南画の未来を創り出すために、日本南画協会の設立もしました。 田能村直入は、日本の美術界を誰よりも思い続けた画家として、現在でも高く評価されているのです。掛軸買取においても、田能村直入の作品は非常に高価な価格で取引されています。86歳の頃には、黄檗山塔頭獅子林の住持として、数々の文化を伝えていくなど、常に文化の発展を考えていた田能村直入。彼の存在があったからこそ、今の日本美術が成り立っているのかもしれません。

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