掛軸 田能村竹田

田能村竹田

日本は勿論のこと、近代の大分画壇に大きな影響を与え続けた天才画家、掛軸買取 田能村竹田。南画の先駆者として、数多くの功績を残した日本を代表する画家として知られています。そんな、田能村竹田は1777年に大分県豊後国岡藩竹田村に生まれました。父が藩侍医田能村碩庵であり、医者という環境の中で育ちます。医者というと、裕福であったイメージがあるのですが、禄高12人扶持でありながら、これは武士の中ではかなり低い地位であり、結果的に貧しい日々を送る日々だったと言います。そんな逆境の中、田能村竹田は6歳で素読を始めており、11歳で藩校由学館で入学するなど、頭の良い子供だったといいます。絵画の才能も高くあった田能村竹田は、師の唐橋君山に詩文結社竹田社、米船社の同人として迎え入れられる程でした。しかし、耳病と眼疾を発病、1794年には母と兄を亡くしてしまい、田能村家の嫡男となり藩主にまみえることとなってしまいます。しかし、絵画への気持は日に日に増すばかりで、淵上旭江門の地元画家で学び、さらには通信教育までも受ける程の熱心ぶりだったといいます。結果、医者を継ぐという洗濯は捨て去り、「豊後国志」の編纂に携ることで、江戸に向かうこととなります。その後、様々な文人達との交流や京都への遊学を経て、画法に研磨をしていきます。しかし、一揆が起こった関係などで、様々な苦難が彼を襲います。病気も患っていたこともあり、仕事も止めていますが、とにかく交友範囲などが広かっただけに、俸給なども休息料としてもらっていたようです。その後も、頼山陽に岡田半江、浦上春琴や菅茶山、青木木米などの文人たちと交流を持ち、数々の作品も生み出していきました。代表作には、「暗香疎影図」に「稲川舟遊図」、「曲渓複嶺図」などがあり、美しく繊細な秀作を多く残しています。掛軸買取においても、田能村竹田の作品は人気があります。数々の苦難がありながらも、人間力の高さにおける人脈と才能で、より人生を豊かにしていった田能村竹田。彼の残す作品だけでなく、人としての存在も美術界に強く影響を与えていったに違いありません。

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