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「掛軸 福王寺法林」
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掛軸 福王寺法林

福王寺法林

ヒマラヤの画家と呼ばれる画家、掛軸買取 福王寺法林。迫真な構図と筆遣い、畏怖の念も抱かせるものもあれば、優しく包み込むようなものまで、独特の感性と写実力で多くの人々を魅了する作品を生み出し続けました。そんな、福王寺法林は1920年に山形県に生まれます。自然豊かであり、山脈に囲まれる広大な風景は、後の福王寺法林を作り上げる大切な基礎となっています。6歳の頃に、福王寺法林は左目を失明しています。しかし、才能を幼少の頃から発揮していた福王寺法林だけに、8歳の時に上村廣成に師事し日本画を学んでいます。生きる希望を見いだした福王寺法林は、本格的に絵画を学ぶために上京を決意することとなります。日々、多くの作品を描き学び続けながらも1941年に中国に出兵、一時絵画からは離れた生活を強いられてしまいます。しかし、1946年には復員を果たし、院展に出展することとなります。とうとう、1949年に描く「山村風景」が日本美術院展覧会に初入選を果たします。この入選をキッカケに、様々な賞を受賞することとなり、美術界でも一目置かれる存在となっていったのです。さて、そんな福王寺法林といえば、ヒマラヤを描く作品なのですが、取材は1974年より開始しています。感動的なものを見ることで、感性を刺激していた福王寺法林のモチーフの終着点は、ヒマラヤでした。一度目にすれば、脳裏から焼き付いて離れることの無い、そのヒマラヤの作品。山々の迫力ある構図が迫り、力強く見るものには圧倒感さえ与えます。しかし、恐ろしいだけではなく、どこか人間が帰るべき場所としてのヒマラヤを投影しているようにも感じられます。日本美術界にも多大なる貢献をし続けた福王寺法林は、山形県名誉県民に米沢市名誉市民、東京都三鷹市名誉市民としても知られます。存在自体、芸術なのでしょう。福王寺法林のヒマラヤの作品はもちろん、他の作品も掛軸買取において非常に高価買取となります。美しさだけでなく、醜さ、恐怖も魅力に変えてしまう画家が福王寺法林です。画家を諦ろと言われ、心を閉ざした少年時代もありながら、夢を貫き通し、日本を代表する画家となる姿勢は見習うべきものなのです。