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「掛軸 竹内栖鳳」
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掛軸 竹内栖鳳

竹内栖鳳

明治から昭和に渡って活躍をした画家、竹内栖鳳。日本を代表する画壇、横山大観と並び評される、日本画の重鎮として広く知られています。そんな掛軸買取 竹内栖鳳は、1864年に京都御池通油小路の川魚料理屋「亀政」で生を受けます。13歳という若さで、自宅の近所で活動をしていた土田英林に、四条派の絵画の手ほどきを受けています。四条派を基礎に絵画技術を研磨していった竹内栖鳳ですが、そのまま居残りはせず、17歳からは、幸野楳嶺の私塾に向かうようになっていきます。著名であった幸野楳嶺だっただけに、入塾を許されたのが、何か才能を感じ取ったからだろう、と言われています。そして、同塾で研磨を続けて行くとその才能を徐々に発揮していき、結果的に画号を師より受けることになります。さらに、翌年には楳嶺塾の工芸長に任命されていくなど、才能をいかんなく発揮していきます。この竹内栖鳳の評価は当時、異常なほどに高く周囲の評価も尋常ではなかったと言います。しかし、そんな期待も重圧になることは無く、素晴らしい賞を数々博覧会などで受賞していきます。さて、そんな博覧会で若手でも随一の腕前の持ち主と言われ続けた竹内栖鳳は、36歳の頃には京都市に農商務省の依頼により、パリ万国博覧会の視察だけでなく、ヨーロッパの絵画事情の調査を兼ねて外遊しています。この美術視察では、大きな成果を得ており、帰国後にまたもや名声を上げて行きます。実物への類い稀な気こだわりを店、その写実表現は、他の画家の群を抜きます。巧みな写実方法で、本物さながらの画風には、洋画被れとの批判もあったのですが、気にすることなく秀作を描き続けたといいます。晩年には、「帝室技芸員」に推挙されるなど、京都画壇の中の草分け的存在として、芸術人生を送りました。そんな竹内栖鳳の作品は、掛軸買取の中でも特に人気が高く、現在でもトップクラスの買取値を誇るほどです。天才という名をほしいままに、数々の名作をこの世に残した男、竹内栖鳳。彼の残した遺産は、日本が誇るべき財産になったのです。

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