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日本画 与謝蕪村

与謝蕪村

松尾芭蕉や小林一茶と並び、江戸俳諧の父と呼ばれている人物が日本画買取 与謝蕪村です。写実的でありながら、その独特の世界観で多くの人々を魅了し続ける作品を作り続けたことでも知られています。さて、そんな与謝蕪村なのですが、1716年に摂津国東成郡毛馬村に生まれています。本性は谷口といい、名は信章と言いました。20歳の時分、江戸に下った与謝蕪村は、夜半亭宋阿に俳諧を学ぶこととなります。様々な修行を経て実力をたくわえていった与謝蕪村は、この頃は日本橋石町に住まい、研鑽を積んで行きました。それから7年後、師である夜半亭宋阿がこの世を去ります。その後、行き場の無くなった与謝蕪村は現在の茨城県結城市の砂岡雁宕を尋ねます。砂岡雁宕のもとに寄寓をすることになりますが、元来憧れを抱いていた松尾場所に習い、東北地方を旅していることが知られています。芭蕉がたどった道を自らも歩み、新しい感覚を身に着けて行ったと見られています。さて、その時の手記を編集したもの歳旦帳で、与謝蕪村は初めて“蕪村”という名を出していると言われています。さらに、自由気ままに歴遊を続けて行く与謝蕪村は、丹後に讃岐など関西方面も歩き、結果的に42歳の頃に京都に落ち着くこととなります。そして、与謝蕪村の与謝を名乗ることになります。45歳で結婚し、角屋で区を教えるなど様々な活動をしていった与謝蕪村。彼の日本画としての作本としては、「鳶鴉図」などがあります。自由闊達な構図で描かれる水墨画なのですが、濃淡が齎す勢いのある力強さと、写実的で優雅な筆遣いが、与謝蕪村らしい美しい作風を作り上げています。また、作品の中に詩を入れ込む発想を大胆に発表したのは、与謝蕪村が初とも言われています。「ほととぎす」などでは、大胆に構図をとり、絶妙な配置で花鳥図が描かれます。味わいのある文字を配し、与謝蕪村らしい優しく、典雅な作品となっています。日本画の世界においても、中心的な存在感を発し続けた与謝蕪村。彼の影響こそ、日本の俳諧を変化させていったのです。