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日本画 中村正義

中村正義 舞妓

日本画家・中村正義は1924年、愛知県豊橋市に生まれました。戦後間もない1946年、日本画家である中村岳陵に師事し、その年の第2回日展に出品した「斜陽」が初入選を果たして、その才能を周囲に示すことになりました。また、1950年の第6回日展では史上最年少で特選を受賞します。その翌年から、審査なしで出品できる「無鑑査」となり、1952年の第8回日展では再び特選を受賞する栄誉に輝きました。日本画家としてキャリアをスタートさせた中村正義は、絵を書き続けていくうちに、洋画、日本画といったジャンルの垣根を飛び越えて、独自の画風を築き上げていくことになります。 ところが、正義は以前に患ったことのある肺結核が再発してしまうという悲劇に見舞われてしまうことになり、長い療養生活に入ります。病気療養後、1957年の第13回日展で委嘱出品を再開して、1960年の第3回新日展では審査員に推薦されましたが、その翌年、仲間とともに日展を脱退の道を選ぶことになりました。 1959年の新日展に出品した「舞妓」は、大胆なポーズをとった人物を描いており、その肉体や背景に銀箔や金箔を荒々しく使用することで伝統的な日本画の枠組みに囚われない作品に挑んでいます。そして、1961年には日展への出品を取りやめ、以後、蛍光塗料、ボンド、エナメルなどの塗料を用いて、自分のイメージをキャンバスに描き出すことに専念します。そして、それまでより大胆かつ自由に描かれた5部作「源平海戦絵巻」(1964年)は彼の代表作となりました。その後、山下菊二らと日本画にとどまることないグループ「人人会」を結成しました。 また一方で、静謐な色彩空間で満たされた風景画「太陽と月」シリーズや、自然の岸壁などから作られた仏像である「磨崖仏(まがいぶつ)」を思わせる仏画など、幅広くオリジナリティの追究を行ないました。しかし、1977年、肺癌のため52歳という若さで、惜しまれながらもこの世を去ってしまいます。現在、中村正義の娘を主人公にしたドキュメンタリー映画「父をめぐる旅」が撮影中であり、ファンのあいだではその上映を心待ちにしている人も多く、筆者である私もそのなかの一人です。

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