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「日本画 円山応挙」
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日本画 円山応挙

中川浄益

日本画家・円山応挙。写生派の開祖と言われ、近現代の京都画壇にまで系統が続いている「円山派」の祖であり、写生に依った親しみやすい画風が特徴です。応挙の少年時代のことは詳しくは分かっていないのですが、10代後半には鶴沢派の画家である石田幽汀の門に入っていたと言われています。修業期である20代の頃は京都四条通柳馬場の玩具店に勤めており、そこで所謂「眼鏡絵」制作に携わっていたと言われています。眼鏡絵とはレンズを通し、45度傾けた鏡に映し出した絵を覗き見る風景画の一種のことです。オランダからの輸入品で眼鏡絵に出会った応挙はこれを得意とし、京都の風景を描いた作品である「四条河原遊涼図」「石山寺図」「賀茂競馬図」などを残しました。これらは従来の眼鏡絵には無い工夫も織り交ぜた応挙の独自性を持たせたものでした。その後三井寺円満院の祐常門主や豪商である三井家をパトロンとして代表作である「七難七福図」、「孔雀牡丹図」「雪松図」など数々の作品を残していきます。冒頭でも書いたように、応挙の作品は近代日本画家の中でもとりわけ写生を重視しているものでした。

日本画の要素を噛み砕いた上で取り込み、独特のセンスで再構成

彼は普段から写生帖を持ち歩き、動物や風景や植物などをさまざまな題材を様々な角度からスケッチしていたと言います。応挙の作品の特色は、そうして身に付けた技術をベースとしつつ、日本絵画の伝統的な画題を風俗画や浮世絵とも通ずるような装飾性を以てして豊かに描いた画風にあったのです。代表作の一つ「雪松図」でもその特色は見ることができ、写生が基礎でありながらもそれだけに留まらないエネルギッシュな描写を感じます。雪松という伝統的な画題であり、決して西洋画の要素を取り入れているというわけでもないこの作品に他の日本画にはない「新しさ」を感じるのは、様々な日本画の要素を噛み砕いた上で取り込み、独特のセンスで再構成しているからでしょう。 そのセンスを培ったものこそ若かりし頃取り組んだ眼鏡絵にあるのかもしれません。 そういった円山応挙の世界観が一代で途絶えず、弟子たちが継ぐことで現代にもその系譜が続いていることは日本画の歴史を語る上で大変重要なことであると言えるでしょう。