日本画 奥村土牛

日本画 奥村土牛

奥村土牛 兎

日本画家・奥村土牛は1889年に生まれた日本画家です。東京の京橋に生まれ、出版社を営んでいた父の意向によって「土牛」という名がつけられたといいます。そんな奥村土牛は力強く繊細な画法で様々な日本の風景や情景を描き、現代日本画の画家でも最高峰に上りつめた伝説の画家として広く知られています。特に彼の名前を有名にしている作品が、〈富士図〉なのですが、胡粉をなんと200回もの塗り重ねを重ねており、その途方もない絶妙な妙技のはてに完成する富士山を描いた作品です。そして、この作品が寄贈されている場所が、皇居であることから奥村土牛の大家ぶりが伺えるのです。そんな奥村土牛ですが、日本画家を志して初めて門を叩いたのが梶田半古でした。その塾頭であった小林古怪に日本画を師事することになります。徐々に力を付けて行った奥村土牛はその後に東京勧業博覧会において「敦盛」が入選を果たしています。さらに、1929年には再復興16回院展において「蓮池」が日本美術院院友に推挙されるなど、輝かしい実績を数多く残します。そんな奥村土牛の作品のひとつである「醍醐」は、太く力強く咲き誇る桜の木を描いた作品です。描かれている季節はまさに桜満開の春爛漫の時期であり、全体的に淡く幻想的で甘美な雰囲気漂う素晴らしい作品となっています。シンプルに描かれたようで、綿密な筆遣いの連続で描かれており、奥村土牛の奥底に眠る日本の美しさに対する深い情が感じ取れるような作品にもなっているので注目です。奥村土牛は自らの作品を描き続けるだけでなく、教育者としても大きく日本の美術界に貢献している事で有名です。東京芸術学校では講師を勤め、帝国美術学校では日本画家教授にも就任していることで有名です。そして、東京都民野名誉都民にも任命されるなど、輝かしい経歴を築き上げているのです。自らの芸術を成し遂げるたびは1990年、101歳という長さで幕を閉じています。彼の残した素晴らしい功績の数々は我々が知り得る中でも、最高峰の輝きを放って居続けるのではないでしょうか。

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