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日本画 寺崎広業

寺崎広業 大仏開眼

寺崎広業は1866年に生まれた日本画家です。秋田県に生まれた寺崎広業は放浪の画家と言われていましたが、その人柄と素晴らしい作品の数々を生み出す類い稀ない才能で、葬式にも3000人近くの参列者が訪れる程の大家となって行ったのです。画家を志した寺崎広業はまず、秋田藩の画家である狩野派の絵師に学びます。しかし、そこで学ぶ絵画技術では物足りなかったと同時に生活が苦しく、登記所の雇い書記としてどうにか生活を安定させていきます。もちろん、絵画への思いは強く募るばかりの寺崎広業は、本格的に絵画を学ぶために上京をします。上京をした寺崎広業は平福穂庵や菅原白龍に師事をしました。しかし、放浪癖があった寺崎広業はたった4ヶ月で三つの印形を懐中にしています。その放浪によって、数々の人間との繋がりを持ち続ける寺崎広業ですが、まず足尾銅山に赴き、守田兵蔵と再開。その守田の紹介で日光大野屋旅館に美人画を寄寓させていきます。この美人画によって大きく名を馳せて行く寺崎広業は挿絵の仕事をしていきます。さらに、挿絵の仕事は様々なモチーフで描かれるため後の寺崎広業の広く独創的な画風を決め手となっていくのです。そんな寺崎広業の作品の中でも有名なのは「月光燈影」です。1901年に描かれたこの作品なのですが、小督弾琴図を描いた作品です。平安時代の末期、平清盛が猛威をふるっていた時代の背景が描かれたこの作品。秋の月明かりの元に、恋い焦がれる局の切ない気持ちを繊細に表現していった作品です。哀愁漂う情緒的なこの雰囲気は寺崎広業独特の幻想的ながら綿密な筆遣いから生まれた秀作なのです。狩野派に止まらず、四条派に南画などを用いた格調の高い作品を描き続けていた寺崎広業は、後の日本の美術界に高い貢献をしていきます。文展の第1回の審議員として活躍、自らも超大作である「大仏開眼」を出品し現役と教育者としても高い功績を残していくのです。数多くの技法を自らの技術として全て取り入れ、作品として発揮していった寺崎広業。オールマイティとも言えるその画風は、現在の画家にも少なからず大きな影響を与えたことでしょう。

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