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「日本画 東山魁夷」
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日本画 東山魁夷

東山魁夷

日本画家 東山魁夷(ひがしやまかいい)は、1908年(明治41年)に横浜で生まれた日本画の代表的作者である。彼の全ての作品に共通する唯一の特徴は「人物が描かれていない」という点である。東京藝術大学を卒業後、ドイツへ留学して洋画を学んで作風に取り入れるなどの努力にもかかわらず世に認められるには至らず、悩み苦しんでいた彼の作風を一変させたのは終戦間近に召集され死に直面し自己消失の絶望的感覚の中で、ふと目にした田園風景の美しさであった。 「こんな美しい風景があったであろうか」 失われ行く人間の儚さを感じた時、目の前にさりげなく存在している風景の美しさに感動したのであった。 「もしも生きて再び筆を取ることができたなら、この美しさを描いていきたい」 こうして終戦から2年後に発表した「残照」が第三回日展で特別賞を受賞。ただ連綿と連なる山々の峰を描いたこの作品から放たれる残照は「生きている」ことへの感謝の念と、眼前に繰り広げられて見ることの出来た美しい風景への畏敬の念が込められているのではないだろうか。以来、数多くの作品を描き続けていったが全ての作品に共通して感じられる「生命」への感謝と畏敬の念こそが、見る者の心を捉え揺さぶるのではないだろうか。 四季折々の繊細な美しさを見せる日本だけに留まらず、彼はドイツ、中国そして北欧など世界を歩き、その表現力の幅と奥行きを拡げて行った。彼の代表作となったのは約10年の歳月をかけて制作した奈良・唐招提寺御影堂障壁画「黄山暁雲 」 であろう。 彼自身が「充実した無の世界」と記したこの作品は、ただ墨の濃淡のみで幽玄な山の全容を描き出し、生命というものへの深い畏敬の想いを見る者の心に引き起こしてくれるのであった。 彼にとって「絵を描くことは祈り」であると言う。 約半世紀にも渡る創作活動を通して彼はいったい何を祈ったのであろう。どの作品を見ても私たちの心を揺さぶり訴えてくる感動の由来は、おそらく彼がその絵に込めた「祈り」が引き起こしてくれるのではないだろうか。 1999年5月に彼の長い祈りの人生は閉じたが、残された作品は未来永劫に渡って見る者の心を慰めてくれるであろう。

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