日本画 松岡映丘

松岡映丘 宇治の宮の姫君たち》〔屏風(六曲一双)右隻・部分

日本画家、松岡映丘は1881年に生まれた日本を代表する画家です。大正から昭和期にかけて活躍し、その伝統的な大和絵を斬新な切り口で描いた作品に定評があります。常に新しい想像力を蓄え続ける松岡映丘は、その切り口や芸術的思想に憧れる画家も多いのではないでしょうか。現在の兵庫県に生まれた松岡映丘の本名は輝夫になります。幼少の頃に茨城県に映った松岡映丘は絵を書くことがとても好きで、その当時は歴史画や武者絵を特に好み日本画の大家を目指し画家で行きて行くことを志します。そして、本格的に絵画を学ぼうと最初は狩野派と呼ばれる橋本雅邦に師事をします。しかし、武者などの歴史的な物の描くことが好きであった松岡映丘にはこの狩野派がどうも馴染まなかったらしく、半年で通わなくなってしまいます。そして人の紹介で住吉派と呼ばれる山名貫義に入門していきます。ここで、本当に大好きであった大和絵の歴史などを思う存分研究することに専念していきます。松岡映丘はその知識と思いをカタチにしていくために、1899年に東京美術学校日本画科に入学します。ここで技術に磨きをかけるように粉骨砕身努力していき、その努力のおかげか、同学校を首席で卒業します。安定した就職先として、神奈川県女子師範学校の教諭の座を掴み、制作と同時に絵画の教育にも力を入れて行くこととなりました。1912年の第6回の文展において初入選、この入選をキッカケに数々の賞を受賞していくこととなり、官展を中心に活躍の場を広げて行きました。歴史画を美しく色彩豊かに描くことで高名な松岡映丘の作品「伊衝の少将」では、当時の王朝風俗を描きあげた作品です。画題となった『今昔物語集 巻題24』「延喜の御屏風に伊勢の御息所和歌を読む語第31」は松岡映丘の手で全く新しい風景に生まれ変わります。その美しいく繊細な色使いは、彼独特の世界観を表しているようにも感じます。画家としては勿論、教育者としても優秀であった松岡映丘は東京美術学校でも教鞭を取り、数々の優秀な生徒を輩出していき日本の美術界に大きな貢献をしているのです。新しい未来を切り開く努力を惜しまなかった松岡映丘。彼の功績は文献以上に大きかったのではないでしょうか

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