日本画 松本楓湖

日本画 松本楓湖

松本楓湖

日本画家、松本楓湖は1840年に生まれた日本を代表する日本の画家です。幕末から大正時代を中心に活躍をしており、日本美術院の創設に参加し、文展では開設当初から審査員をするほどの評価を得ていました。師である容斎の図様を基本としており、写実性を大切に美しい作品を数多く仕上げていることでも有名です。自らも伝統的な日本画を描いたりもしてきているのですが、保守的な様式の日本美術会に対しては反抗心を持ってかかり、一筋縄ではいかない人柄を表していたことでも有名とされています。そんな松本楓湖は、現在の茨城県に生まれ漢方医を生業としている家庭に生まれ育っています。父に学問を一から教わり、近所の子供にも漢字を教えるなど、高い教養ももっていたと言われる松本楓湖なのですが、幼少の頃から絵を描くことが大好きで、その腕前は非常に高く彼を取り巻く大人たちはその出来映えに驚いていたと言います。このことから、自然に本物の絵師を志すことを決意していく松本楓湖は1853年の14歳の時分で、江戸の日本橋にある沖一蛾の主宰する画塾に入塾していくことになります。ただし、2年後に師である一蛾が他界してしまい、その後は様々な師の元へ訪れては絵画の技術に研磨を重ねていくことになるのです。そして松本楓湖が運命の出会いを果たすのが1868年、歴史的人物などをモチーフに描き、日本の美術界に大きな動きを与えた重要人物、菊池容斎に師事していくこととなります。この出会いを機に号を楓湖に替えており、誰よりも真剣に容斎の教えを守ります。松本楓湖は本当に師である菊池の影響を大きく受け、そのおかげもあり、恐ろしいほどの実力を付けていき自らの求める芸術は何たるかに気付くようになっていったのです。自らの精力的活動はもちろん、師の意志を後世に伝え続けるために自宅の安雅堂画塾を開き、教育者としても日本の美術界に貢献をしていくこととなるのです。西洋婦人を描いたり蒙古襲来の絵など、まさに人物画と歴史画では有名な作品を数々生み出して行った、伝統を守り抜く人物だったのです。意志を受け継ぎ、それを広く世に伝え続けていた松本楓湖は我々の知りうる美しい日本画の伝統を切り開いた、重要人物であったのです。

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