日本画 森寛斎

森寛斎 双兎図

森寛斎は1814年に生まれた日本画家です。京都の画壇として活躍をしていた森寛斎は、数々の輝かしい賞への受賞歴はもちろん、教育者としても後の日本美術界に高い貢献をしていることでも広く知られています。長州藩士の息子として生まれた森寛斎は、森徹山の養子として育てられます。日本画家を目指してまず萩藩絵師太田田竜に絵画の基礎を習っていきます。その後、本格的に絵画を学ぶために大坂に上京し、森徹山に学んだ後に養子となっています。森寛斎にも様々な事が言われており、幕末尊王派になっていた森寛斎は荻藩士に服しており、国事に毎日奔走していたという記録があります。そして密使という存在で京都と長州の間を行き来し、大切な要因として数々の情報を届けていたと言われています。そのため、勤皇の志士達との交友が多くなり、品川弥二郎との親交は深く、長きに渡っていきます。そんな、生活をしていた森寛斎ですが維新後は徹底して絵画生活に戻ることになります。京都に入り、如雲社に参加をしていくこととなり、塩川文麟が没してしまった後にはこの如雲社の中心を任されることになり、京都の画壇の中心として、尽力をつくすことになっていくのです。そんな森寛斎ですが、伝統的な南画や繊細な線で描かれる動物など、数々のモチーフを使い秀作を多数生み出して行きます。その中の作品のひとつ「双兎図」があります。二匹の兎が描かれるシンプルとも言える作品ですが、白と黒の模様の兎と白一色と見て取れる兎になっています。その、絶妙な構図の配置に背中を向ける兎にそれを見る兎と、絵に躍動感と生命力も感じさせる雰囲気になっているのです。さらに「猫と果物」では、寝そべって透明な器に入る柑橘を見る猫が描かれており、可愛らしさの中の綿密さが独特な雰囲気を醸し出す秀作になっています。目を見開いて果物を眺める猫の表情が驚いているようにも見受けられ、どこか温かい気持ちにもなります。この綿密な表現で賞も数々受賞しており、第一回内国絵画共進会銀印に京都青年絵画研究会会長なども歴任している程なのです。多くの功績を日本の美術界に残した森寛斎。彼の芸術は美しさと優しさを兼ね揃えていたのです。

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