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日本画 津田青楓

津田青楓

「ブルジョワ議会と民衆の生活」など、有名な洋画を描き続けていながら、日本画家と転向し、新しい日本画の境地を生み出したのが日本画買取 津田青楓です。才能豊かであり、そのフットワークの軽さも手伝い、絵画だけではなく、詩、書、短歌、装丁なども手掛ける程の人物であったと知られています。1880年に京都市中京区押小路に生まれます。華道家で去風流家元という家系だったこともあり、芸術に触れる機会が多く、画家としての人生を志すこともごく自然なことでした。さて、そんな津田青楓ははじめに京都の四条派の画家であった升川友広に師事をしています。そこで、絵画の基礎を学んでいったのですが、家柄の関係もあり京都市立染織学校に入学をします。しかし、その傍らではありながらも絵画への情熱を捨てることはせず、谷口香嶠に日本画を師事していきます。結果、本格的に絵画を学ぶ気持ちになり、関西美術院に入学。浅井忠に鹿子木孟郎という2人の画壇に、日本画と洋画を師事し、研鑽を重ねて行きます。1907年には、農商務省海外実業実習生として津田青楓と安井曾太郎が選ばれ、パリへと留学をすることとなります。ジャン=ポール・ローランスに師事をすることとなり、そこでアールヌーヴォーの影響を非常に強く受けることとなります。この事がキッカケとなったのか、帰国後には文展を脱退し、二科会創立に参加をしています。京都市東山区清閑寺霊山町へ津田洋画塾を開き、飛躍的な活動をみせ続けて行きます。しかし、「ブルジョワ議会と民衆の生活」や、小林多喜二への虐殺を主題にした「犠牲者」などで、国から検挙。留置を受けます。その後に二科会を脱退、日本画という世界に傾倒していきます。夏目漱石が親友でもあったことから、この夏目漱石に日本画を教えている、などという逸話も残っています。日本画において、洋画のエッセンスを取り入れた新しい境地を開いた津田青楓は、現在でも非常に評価が高い作品です。国と戦いながらも、自らの芸術を貫いていった希代の画家、津田青楓。彼の思う本当の芸術は、一体どこにあったのでしょうか。

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