日本画 田能村竹田

日本画 田能村竹田

田能村竹田

日本画 田能村竹田は1777年に生まれた芸術家です。文人画家でありながら、詩文を得意としたその才能は未だ尚、数多くの人々の心を惹き付けて止みません。旅をすることが非常に好きであった田能村竹田は日本の各地を渡り歩いては、数々の作品のモチーフにしていました。豊後国竹田村の岡藩々医碩庵の次男としてこの世に生まれます。11歳の時に由学館に入り学を付けていきます。その後、研磨を重ねていき22歳の若さで教授となります。谷文晁に図などを師事しており、絵画の基礎を身につけて生きます。順風満帆であった教師生活であったのですが、藩内で百姓一揆が起こってしまい、その当時藩政を批判する側に廻っていた田能村竹田は、職を奪われ、無職となってしまうのです。しかし、この事件をキッカケに自由人となった田能村竹田は数々の文化人などと触れ合うようになり、中国文化画を基礎から真剣に学ぶ決意をすることになります。元々、多くの文化人との交流が盛んであった田能村竹田は、数々の画家から多くの基礎を学ぶ機会に恵まれており、どんどん力を付けて生きます。山水画をはじめ、人物画や花鳥図とその制作の範囲を広げて行くことにより数々の秀作を生み出すことになります。そして、晩年の頃の田能村竹田の作品は繊細さと大胆さを併せ持つ独特な味わいを持つ、美しい作風を手に入れ非常に高名な画家としてこの世に名を馳せていくことになったのです。そんな田能村竹田の作品のひとつである「秋渓趁約図 」は1834年に描かれた山水画です。穏やかに連なる山々にのどかな風景、しかし、その線はどこか力強さも兼ね備えている田能村竹田独特の深い味わいで描かれる美しい作品となります。中国山水画の基礎をしっかり押さえておきながらも、日本人らしい繊細で垰やかなその筆遣いはさすがと言える逸品として評価されています。豊後における南画の先駆者であり、日本の美術界に高い貢献をしていく田能村竹田。彼の存在は非常に大きく、絶大なものであったに違いありません。

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