日本画 西郷孤月

日本画 西郷孤月

西郷孤月

日本画家 西郷孤月は1873年に生まれです。現在でも伝統ある日本美術院の創設者として知られています。幼きころから、語学の勉強を中心としていた西郷孤月は非常に博識となります。そして、1888年に狩野友信に日本画を師事し、本格的に画家としての道の一歩を進み始めます。この時期には後に大家となる画家が多くおり、英語学校で同じく勉学に励んでいた横山大観や下山観山などとともに、東京美術学校の第一期生として学びを受けます。その才能を伸ばし続けた西郷孤月は、同学を卒業した後に卒業制作で描いた「俊寛鬼界ヶ島ニ決別ノ図」が多きな評価を受け、宮内庁の買い上げとなります。その後、岡倉天心の推薦で近衛師団に従軍し、日清戦争を模写するなど軍事画家としても活躍しています。そんな西郷孤月の作品は、狩野派の下地がやはり色濃く残る印象が強いと言えます。さらに、琳派であったり西洋画のテイストなども織り交ぜており日本画の新しい未来像を切り開く、斬新な画家として活躍しています。その才能から、日本絵画共進会での毎回受賞に、日本美術院での尽力、評議員など日本の美術界に大きく貢献をしていきます。雅邦門下の四天王として数えられ、その類いなまれなる作風や名声などで最も将来を有望された画家として知られます。しかし、岡倉天心媒酌の元で橋本雅邦の娘と結婚したことで大きく画家人生にひずみが生じるようになります。1年後に酒の石で狼狽を働き、以後、酒と遊蕩に明け暮れる毎日を送るようになります。徐々に作品も入選しなくなり、仲間もほぼ離れて生きます。しかし、学生の頃から苦楽を共にしてきた大観や春草は西郷孤月の素晴らしい才能を買っていため、日本橋倶楽部の展覧会に参加させるものの、以前の勢いや才能は廃れてしまい見る影も無くなってしまったと言います。その後、再起に目覚めた西郷孤月は「台湾風景」を描き、あたらしい画家人生を求めますが、台北で発病してしまい寂しく自宅で息を引き取りました。素晴らしい才能で数々の注目を集めながら、四天王の中でも日を浴びることの無かった西郷孤月。しかし、誰よりも絵を愛し、そして芸術家としての道を全うしていった孤独な画家であったのではないでしょうか。

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