古書 會津八一

會津八一

 骨董買取・日本画・會津八一。
 會津八一は1881年(明治14年)8月1日、新潟市古町通5番町に生まれました。幼い頃から万葉集などの歌に触れ、歌の道へと歩んでいきます。新潟県尋常中学校在学中(現県立新潟高等学校)に坪内逍遥の講演を聞き、またこの頃に当時北陸旅行中の尾崎紅葉と話す機会を得て、俳号「鉄杵」をもらいました。これの出会いにより俳句への探究心を深めましたが、一番大きな影響を与えたのは1900年(明治33年)6月、東京での正岡子規との最初で最後の面会でした。このとき會津八一は正岡子規良寛を紹介し、後日良寛の歌集も送っています。俳句、和歌、漢詩について正岡子規に教えをうけた會津八一は、その影響を大きく受けるようになります。
 早稲田大学英文科卒業後、彼は私立有恒学舎の教師として生まれ故郷に戻り、様々な作品を作り上げていきました。当時、彼が手掛けていた作品は主に俳句や俳論でしたが、1908年(明治41年)、27歳のとき、初めて奈良旅行へ赴き、奈良仏教の美術へ深く感心し、以後短歌の世界へと入っていきます。會津八一は妥協という言葉を嫌い、何に関しても完璧を貫くような人柄の人間でした。彼が奈良と言う世界に惹かれていったことを教えてくれる歌があります。奈良から東京へと送られた手紙に書かれていたものだそうです。「赤い夕日が落ちる中、遠い武蔵野から、奈良法隆寺の壁画を思って欲しい。」というものでした。會津八一が感じた奈良法隆寺の壁画が夕日に赤く染まる光景は、知人にも共感して欲しいほどの感動だったのでしょう。孤高と呼ばれる彼の作品は実に美しいものばかりです。しかしながら彼は決して冷酷な人間というわけではなく、知人の窮地には手を差し伸べるという正義感とやさしさも持ち合わせていたのです。孤高と正義、この二面性が、彼の美しい作品に表れているのでしょう。彼は妻子を持たず、その生涯をまさに孤高として生きていましたが、彼の美しい作品に惹かれて多くの弟子達が會津八一を慕ってやってきました。歌人としても完璧主義とも言える彼の指導は厳しいものでしたが、それ故に、彼が育てた弟子達は技術を確かに受け継いでいったと言えるでしょう。
 會津八一は1956年(昭和31年) 11月21日、75歳で冠状動脈硬化症により永眠しました。戒名は生前に自撰した「渾齋秋艸道人」、墓は新潟市中央区西堀通三番町の瑞光寺にあります。孤高、妥協を許さぬ人と言われた會津八一。彼の人間性を投影したような確固たる意思を感じさせる作品は、現代に至るまで多くの人々の心に感動を与えているのです。

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