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林武(はやしたけし)
洋画家。東京・麹町出身。本名、林武臣。1896年、父は甕臣(みかおみ)、母とくの五男として生まれる。父、林甕臣は「日本語原学」を著した明治時代の国語学者。研究熱心な父だったが家庭を顧みず、末っ子だった武を含め兄弟たちはみな牛乳配達をして家計を助けた。牛込余丁町小学校の同窓生には東郷青児がいた。学生時代の身体検査のときを振りかえり、「(牛乳配達で)地下足袋をはいているところだけが白く残っていたので、それを見られるのが恥ずかしかった」幼年、少年期の苦労がたたったせいか、体を壊した林は何をやっても長続きをさせることが難しかった。24歳で画家を志したものの、長い不遇時代をすごした。ようやく林が認められるようになったのは終戦後で、昭和24年に「梳る女」(くしけずるおんな)で毎日美術賞を受賞してからであった。遅咲きも遅咲き、このとき既に50歳を過ぎていた。

林の絵には「迫りくる」緊張感が漂う。

林の絵には「迫りくる」緊張感が漂う。それは彼特有の構図=「つりあい」によるものだけではないだろう。強烈な色と、チューブからたっぷり絞りだした絵の具をそのままカンヴァスに塗りつけたような荒々しい量感が押し寄せ、鑑賞するというより、固唾をのんで見守るような絵。詩情や感傷ではなく、原始的な剥き出しの本能が見え隠れする、何をか予感させる画境。好悪がはっきりとわかれ、理解者は限られていたが、その圧倒的なオーラに気圧されるのである。 制作を始めると、いつも床は絵の具とボロ切れの散乱で足の踏み場もないほどであった。静物画で魚を材とするときは、いつも腐るまで描いたため、のちには干物しか描けなくなったという逸話もある。 世に出るまで、円満ではなく苦闘の人生だったが、林の人柄は穏やかで人の世話をするのが好き、新人の登竜門となるような賞と賞金を出して後進の作家を励ました。 代表作の絵画は「梳る女」「舞妓」「赤富士」「薔薇」など。生粋の国語学者の血筋であろうか、画とともに国語の問題にも傾注し、「国語の建設」を著作にもつ。1975年3月、肝臓ガンで入院、6月に死去。享年81歳。

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