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楽焼[六代]_左入

楽焼[六代]_左入

 左入は、商人であった大和屋嘉兵衛の子でしたが、才を見込まれ宗入の娘婿となり、楽家六代を継ぎました。他家の出身であったためか、歴代の作品をよく研究したと伝えられています。篤実で意欲的な人柄であったようです。
 左入に対する評価は、大きく分けて2つあります。ひとつは、四代一入の影響が大きく、長次郎への伝統回帰が強い一入の作風は、全体に小ぶりで比較的おとなしく見えるものです。実際、後に左入の名を知らしめる「左入二百」の中には、そうした質素な作りのものが多く、この評価を裏付けるものとされています。もうひとつが、楽家に新風を吹き込ませたとする意見です。特に後期の作品には意識的な箆使いや土取りで、すっきりとした印象を出したものが多くあり、この作風を指して楽家歴代には見られなかったとしています。この真逆に見える2つの評価はどちらも正しいと言えます。
 どちらの評価にしても、左入が歴代吉左衛門の作品を非常によく研究し、その作風を自家薬籠中のものとした点は同じです。つまり、さまざまな作風を吸収する過程で、特に一入の作風に寄ったものが多かったということと、後に、吸収した作風を自分のものとして再構築し、新たな作風を切り開いたということ。この2つが左入の特長と言えるでしょう。その特長は、当時起こりつつあった町人文化の発展と照らし合わせて見るとわかりやすいかもしれません。もともと長次郎利休とともに取り組んだのは、華美な茶の在りようへのアンチテーゼであり、三畳の草庵の茶室に合う茶碗を生み出すことでした。従って、その姿は小ぶりかつ質素で、温かみのある姿となったのです。左入の時代は、各千家とも中興の祖と呼ばれる宗匠の登場の前でした。町人文化の醸成が進み、茶の湯に新たな変革が求められていた時代です。歴代の流れを汲みつつも、新たな作風に挑戦し、次の時代を準備するという難しい時代であったとも言えるでしょう。左入がしたのは、まさにこの仕事であったと言えます。実際、この挑戦の動きは次代の長入のときにより顕著となっています。作品で有名なものに、本阿弥光悦をよく研究して作った「光悦写し」、晩年に作った数の茶碗「左入二百」などがあります。

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