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田崎廣助(たさき ひろすけ)
画家。本名は廣次。山岳風景が多い作家で、50年描き続けた阿蘇山にちなんで「阿蘇の田崎」とも呼ばれる。1898年、福岡県八女郡北山村(現・八女市立花町)に父作太郎、母モトの五人兄弟の長男として生まれた。4歳のとき、母の嫁入り箪笥いちめんに火箸で模様を描いて叱られたというエピソードがある。県立八女中学(現・八女高校)時代、美術教師の安藤義重の影響を受け、画家を志すも父の反対で美術学校進学は実現できなかった。22歳のとき、家族の反対を押し切り高等女学校教員の職を蹴って上京。小学校の図画教員をしながら、当時池袋に住んでいた同郷の坂本繁二郎に学び、知遇を得た。 関東大震災で一時京都へ移住するが東京に戻り、教員生活を続けながら絵を描き続け、1932年に渡欧。パリのアトリエを拠点に3年間滞欧し、その間イタリアやスペインへの写生旅行を重ねた。

詩情豊かに揺さぶる心象風景を描いた

田崎は、その人物にも作品にも衒(てら)いがない。何事にも平淡で自然体でありながら、それでいて詩情豊かに揺さぶる心象風景を描いた。阿蘇をはじめとして山を好んだ田崎だが、山というのは春夏秋冬の変化はあっても、題材としては単調なモチーフである。留学時代、フランスにあって日本は何かと考えた田崎は、光と影の技巧を凝らした西洋画に追従するのではなく、それらを咀しゃくし消化したうえで、東洋的な自然畏敬を山容に見いだし、心の濃淡をそれに映しだそうと決意した。阿蘇山との縁は、16歳のとき友人たちと阿蘇へ無銭徒歩旅行をしたおり、その悠久さと厳粛さにいたく感動したことがきっかけだったという。田崎は山を描くときは正面のみならず、ぐるりと一周まわり、どの角度からもその威容を眺め、時には上ったり下りたりしながら筆をとった。 素朴で温かみのある画風。率直な色彩。晩年の作品になればなるほど田崎の絵にはなぜか「健康」ということばが浮かぶ。明るさと調和と。そういった画境に至った田崎の非凡さはまさに一寸の「衒い」も感じさせない。 70歳をすぎて「やっと思うように阿蘇が描けるようになった」と言った田崎は1984年、急性心不全のため86歳で急逝した。 代表作の絵画に「阿蘇山」「桜島」「月と三笠山」など。

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