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楽焼[二代]_常慶

茶道具楽焼[二代]_常慶

 初代長次郎の後を継いで二代目となったのは、長次郎の息子ではなく、田中宗慶の次男、常慶です。田中宗慶は、利休の係累とも言われますが、詳しいことは分かっていません。また、宗慶の孫が長次郎の妻であったともされているのですが、没年は不詳ながら、宗慶のほうが長次郎よりもだいぶ後になって亡くなっているという説もあるなど、はっきりしない部分が多くあります。宗慶とは何者だったのか、そして、なぜその次男が楽家の後を継いだのか。茶の歴史のミステリーな一幕と言えるでしょう。
 しかし、はっきりしていることは、「楽家」を正式に名乗るようになったのは常慶の代からだったこと、そして、代を襲うと「吉左衛門」を字として使うようになった最初の代が常慶であったことです。「楽」の姓は、そもそも聚楽第建設の折に長次郎がその現場の土を使って焼物を作り、それを高く評価した秀吉が「聚楽焼」と呼んだのがきっかけです。感激した秀吉は当代随一の賞賛とともに「楽」の字を与えたとされています。また、この楽家を、焼物師の家として体裁を整えたことも常慶の業績に帰せられます。後に千家十職の筆頭とも目されるようになった基礎を築いたといっても良いでしょう。
 焼物における業績としては、赤と黒だけだった楽焼で、初めて白釉(香炉釉)を考案したことが挙げられます。全体としては楽焼らしい、厚いしっかりとした釉で、淡い灰色の貫入が美しく全体を覆うのが特徴的です。香炉で多く使われることから、後年「香炉釉」と呼ばれるようになりました。また、造形に優れた才を発揮しています。長次郎が編み出した楽焼の真髄を踏襲しつつ独特の境地を開きます。ひとつは古田織部の影響を受けて、変化のある沓形茶碗を好んだこと、箆目を恣意的に使い、さまざまな景色を画いたこと、見込みの茶溜りをなくした、型破りのものなど、常慶考案による新しい意匠は多く数え上げることができます。本阿弥光悦に焼物の手ほどきをしたのも常慶であったと伝えられています。現在の国宝「不二山」は、常慶なくしては生まれなかったと考えると感慨深いものがあります。

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