薮内家[十代]_養子竹翠紹智_休々斎

薮内家[十代]_養子竹翠紹智_休々斎

養子竹翠紹智_休々斎

 竹翠が十代、と正式に認められたのは彼の没後のことで、生前はあくまでも次の代を担う竹窓の後見人でしかありませんでした。七代竹翁の代から加賀大聖寺藩との付き合いが始まり、当地の福田家が薮内流随竹庵を構えますが、竹翠はその福田家の出身です。
 幼少時より八代竹猗に仕え茶の湯を学びました。激変が続く明治の世の中で、当時は後見人に過ぎなかったとはいえ、竹翠の残した功績は非常に大きいといえます。ひとつは、薮内流にとっては特別な北野茶会を復興させたことです。当時は茶道への風当たりはまだまだ強かったのですが、表千家・碌々斎が呼びかけた献茶に先んじること2年、明治11年に茶会を開催しています。発案後、北野献茶保存会を発足させ、新聞で会員を募ったところ4000人を超す応募があり、茶会には延べ1万人以上の人出があったそうです。 北野献茶は太閤秀吉に由来するもので、大阪の人々にとって豊公の人気は絶大であったこともあって大成功を収めた茶会でしたが、同時に大阪を中心に活躍する政商、財界人との交流が深まったことも大きな収穫でした。このことをきっかけに、財界人を交えたクラブ的なグループが形成され、薮内流の力となっていきます。

その人となりをよく表している作品

 新しい時代の中で、好み物を多く残した宗匠でした。また、自作物では茶碗に優れたものを残しており、禅画の題材になる僧、寒山、拾得に因んで「寒山拾得」なる銘の一対の茶碗がよく知られています。腰の丸みと色に違いがありますが、どちらが寒山でどちらが拾得なのかは知られていません。しかし、ほぼ同じ大きさであるにも関わらず、見た目の大きさがずいぶんと違って見えるのが印象的です。全体が出す柔らかい印象は、その人となりをよく表していると言えるでしょう。北野献茶のほか、豊国神社への献茶なども行い、薮内流のみならず他の茶流の動きにも大きな影響を与えた竹翠でしたが、それ以外は表に出ることを嫌い、次代竹窓が長じてからは大阪に隠棲し、静かにこの世を去りました。

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