表千家 [五代] 良休宗左 随流斎

半夜放鳥鶏

 良休宗左、自らは「宗佐」と好んで書いたそうで、「にんべん宗左」などと仇名されたこともあったとか。宗匠ながらなかなかユーモアに富んだ人物であったようです。父・江岑から『江岑夏書』での湯の真髄を伝えられた良休は、父と同じく利休流のの湯を体現しました。しかし、ところどころに変わった手を見せ、耳目を集めたという記録も残っています。また、時の紀州公から茶壷の紐飾りについて下問があった際には「知らないが、見覚えがある」と教えたという伝説もあり、その生き様が垣間見えます。

黒を基調としたものが多く、非常にシンプルな作品

 茶道具については、残念ながら好みについて伝わるところが大変少ない宗匠の一人です。茶杓は不審菴に伝来するものがあり、好みの形がいくらか伝わっていますが、そのほかには、真塗の手桶水指、蔦の茶器、長板などが知られるばかりです。利休流を好んだことで分かるように、黒を基調としたものが多く、非常にシンプル。江岑と同じく、利休の教えを大切に守り、次の時代に伝えた人物でした。しかし、その生き様はときとして軽妙で、江戸の町人文化が成熟していく中で変質せざるを得なかった表千家の茶道を予言しているかのようでもあります。
 彼が書いた『一切茶ノ湯ノ道云々』は、そのの湯の考えを伝えるものとされています。その中で彼は、「の湯の道とはかようなものであると議論するものではない」という趣旨の、禅にも通じる言葉を残しています。また、茶道史の中では、彼の残した『随流斎延紙ノ書』も一級の史料とされています。の湯の作法から始まり、著名な道具の来歴などがつづられ、さらには道具の置き合わせや室の図なども書き残されています。 この書は、江岑が良休に教えを覚書として残したように、後嗣となる原叟宗左のために書き綴ったものでした。随流斎は跡継ぎに恵まれず、跡継ぎにと養子にした宗巴に若くして先立たれ、そのわずか2年後に自らも42歳の若さでこの世を去ります。その2年の間に、後の跡継ぎのために書かれたのがこの『随流斎延紙ノ書』であったと言われています。

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