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「表千家[初代] 利休宗易 抛筌斎」
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表千家[初代] 利休宗易 抛筌斎

利休宗易 抛筌斎

 千利休、法名を宗易、号を抛筌斎(ほうせんさい)。現在の茶道の原型を作った人物といっても過言ではありません。戦国末期から天正年間、安土桃山の時代を生き、織田信長豊臣秀吉という2人の天下人のもとで、わび茶を極めました。わび茶は、鎌倉時代から室町時代を通して主流であった、高価な唐物を重用する華美な茶会への反動で生まれたといわれています。室町末期に生まれた当時は「侘び数寄」と呼ばれました。千利休は、当時侘び数寄を唱え始めた当代随一の茶人、武野紹鴎に師事し、侘び数寄を受け継ぎ、発展させていきます。利休が歴史の表舞台に飛び出すのは、織田信長の時代です。商人としても活躍していた利休は、信長の堺接収時に織田家茶頭に取り立てられました。そして信長の死後は豊臣秀吉に公私にわたって仕えることになります。そして周囲の大名たちにを教え、大名・武将の中に多くの賛同者・理解者を得ました。

現代にも伝わる「利休好」はいずれもシンプル

 利休は侘び数寄の発展の過程で、華美な装飾を徹底的に排除し、名物と呼ばれた唐物を否定し、ごくごく質素な国産のものを中心に据えるようになります。 現代にも伝わる「利休好」はいずれもシンプル。無地や木地の質素な肌質、そして黒や朱の一色を好み、徹底的に無駄を排除しています。それは徹底した機能美であり、それこそがの真髄でもあると言えるでしょう。 その中でもっとも有名なのが「楽焼」です。黒一色で、どこか武張った雰囲気も併せもつ黒楽茶碗は利休好を体現しています。利休は、楽焼の創始者となる長次郎とともに、さまざまな茶碗を生み出す一方で、茶柄杓や茶釜、茶入れなどのいわゆる茶道具以外でも、茶室を彩る棚や台子、花入なども考案していきます。時には自ら竹を削り、作品を作ったこともあったそうです。 また、利休を理解するうえで「見立て」も忘れてはなりません。漁師の使っていた籠を花入に見立てたり、塩入れを香炉と見立て使うなど、日本独自の見立ての精神で、茶道具の可能性を大きく広げたのです。 また、草庵茶室と呼ばれる新しい茶室様式を生み出し、建築のあり方、庭の作り方を考案し当時の美の枠組みを大きく変えた人物でもありました。その意味で千利休は、一介の茶人の枠を超えて、現代にまで通底する美の価値観を決定づけた美の巨人でもあったとも言えるのです。