裏千家[十一代]_精中宗室_玄々斎

精中宗室_玄々斎

 時は太平の江戸から近代明治へと移り変わる激動の時代。茶の湯の異才、異端児、革命児とも呼ばれた玄々斎は、まさにこの時代にふさわしい茶人だったのかもしれません。男児に恵まれなかった先代認得斎は、交流のあった三河奥殿藩主、大給松平乗友の子を養子として迎え入れました。大変な子沢山であったため、何番目の子であったかは伝わっていません。10歳で認得斎に養子入り、17歳で認得斎を亡くした後、認得斎の妻・宗江に茶の手ほどきを受けながら、22歳で認得斎の娘まちと結婚し、正式に宗匠を継ぎました。長じて玄々斎を名乗ってからの活動は多岐におよびます。
 彼は大名の子であるという自負もあり、裏千家の茶道のあり方を大きく変えていきました。 例えば、玄々斎は裏千家の作法に手を入れ、表千家と異なる形態にしていきます。現在に至る表千家との違いは玄々斎に始まるのです。また、大名の子であるという血筋のよさを生かし、多くの大名や公家とも親交を深め、日本各地を経巡ります。茶の湯を広めるその旅の途中で、簡易に茶を楽しむための「茶箱点前」を考案、また、さまざまな人々との交流の中で、その多様な好みを取り込んで、茶道具の好みもガラリと変えました。

玄々斎の好み物の特徴は3つに分けられる

 玄々斎の好み物の特徴は、古流の侘びを反映したもの、時代に即し、今までになかった絢爛とした華やかな作風の品、そして過去の歴代の好み物を取り上げ、当世流に手を加えて好みとする「再好み」に分けられます。特に華やかな品に顕著なのが、今までは誇張されることはなかったが連綿と今日庵に伝わってきた、軽妙さと茶の湯の持つ面白みかもしれません。格式に縛られることなく、おもしろきことを楽しく執り行うという精神は、茶の湯の精神そのものであるといえるでしょう。明治維新を迎えてからは、後ろ盾を失い、京都府からは「遊芸人」と同じ扱いを受けるなど屈辱の時を過ごしましたが、玄々斎最晩年には再び茶の湯は復権しています。

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