須田国太郎

須田国太郎

須田国太郎は1892年京都で生まれ、洋画家として活躍した人物です。京都帝国大学で美学美術史を学び、同時期に、関西美術院でデッサンの勉強を始めた須田は、その後、大学院に進学することになります。第一次世界大戦が終結を待って、1919年にスペインに留学を果たすと、スペインのプラド美術館を中心にして、ヴェネツィア派の色彩理論や、バロック絵画の明暗法の研究に熱心に取り組みました。ベラスケスやティツィアーノらの絵画を模写し、明暗法を自分の絵画にうまく取り入れていくことに成功しています。須田は、理論から絵画の実践へと移っていった、珍しいタイプの画家であると言えるでしょう。1910年代後半から1920年代前半にかけて、ヨーロッパに留学した日本画家の多くは、当時のヨーロッパの前衛的な絵画運動に感化されて帰国しましたが、須田は、ヨーロッパのルネサンス以降の古典絵画を注意深く研究し、日本人にとっての油彩画とは何か、日本独自の油彩画とは何かを深く考察する日々を送りました。このような日本画家は、当時としては非常に稀有な存在でした。1923年に帰国した後は、大学で美術史を教えるかたわら、自らの制作活動も行ないました。また、1932年、41歳の時には東京銀座の資生堂画廊で初の展を開催しました。このときが須田にとっての画壇デビューでありました。1934年に独立美術協会会員となり、日本的な油彩画の追求はさらに続けられていきました。西洋絵画の明暗法に、日本の風土に調和した陰影表現を加味して、須田国太郎特有の表現法が確立されていきました。「書斎」(1937年)などは、その顕著な例といえるでしょう。晩年の須田は、京都にアトリエを構えながらも、ひまをみて山陰地方へ写生をしに行き、隠岐などの風景を描いていたと言われています。また、鳥取大学で集中講義を担当し、郷土にゆかりのある多くの作品を残しました。2012年の夏には、茨城現代美術館での須田国太郎展が開かれるなど、今なお彼が残した作品は、多くの人に愛されています。

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