大樋焼[七代]_道忠

道忠

 半年の間に父、兄を立て続けに亡くし、後を継いだのは七代目道忠です。生まれは天保7年、父兄を亡くしたのはちょうど二十歳のころでした。
 明治維新が成るまでの12年間は、激動の時代ながらも加賀前田家によく仕え、その後、明治の新風とともに茶の湯が廃れると注文を受けることも少なくなり、明治2年、道忠は窯の火を落としました。道忠が生きた時代、後半は激動に次ぐ激動で、作品もほとんど残っていないようです。時代の移り変わりを如実に表しているようで、見る人によってはその作品数や作風の変化には涙を誘われることもあるとか。
 そんな作品の代表格が飴釉玉絵茶碗です。初代の有名作「聖」を意識したものか、筒型でややおしゃべり口に受けるように胴を弓形にしならせています。箆目は縦横にめぐらされ極めて技巧的。薄い飴釉を引きつつ幕釉で同じく飴釉、そのさらに上から白釉を落とし込んでいきます。描かれた「玉」は宝玉で、千家に因むもの。裏千家では十一代玄々斎、十二代又妙斎、十三代円能斎へと移り変わる時代ですが、作品が少ないうえに時勢が時勢だったため、又妙斎円能斎の箱書きを得ているのは大変に珍しいそうです。そのほか、黒の釉薬の流れが美しい、大樋焼では珍しい碗型の銘「花仙」、粗目の肌に黒釉がかかり、朱釉が腰に表れる黒筒茶碗などがよく知られ、佳品とされています。
 茶の湯のうえでの功績とは別に、道忠は口伝などで伝わるのみだった大樋家の歴史を取りまとめています。明治2年に一時廃窯、その後17年に再び火が灯りますが、そのときに取りまとめ、石川県勧業課に提出しています。これが現在も大樋家の歴史の定本となっています。道忠は明治29年にこの世を去りますが、息子知新は軍人となって作陶の道からは遠ざかり、大樋家は存続しましたが、陶人としての大樋家の本流はここに途絶えることになりました。15年の廃絶の間、五代目の高弟の子孫が大樋焼を存続させていましたが、その後陶人としての「大樋家」を再興し継いだのは七代目の高弟だった奈良理吉でした。

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