大樋焼[初代]_長左衛門

長左衛門

 大樋焼は楽焼の傍系とされ、玉水焼と並んで楽焼の「脇窯」に分類されています。技法上、手捏ねや箆を使った造形、釉薬の使い方など楽焼と同じ手法が取られています。しかし、大樋焼はその誕生のときからドラスティックに楽焼と一線を画すよう、意図的にその道筋を敷かれました。
 大樋焼初代とされるのは、大樋長左衛門、当時の氏を土師(はじ)と言いました。その血筋は遠く平安の世にさかのぼり、落飾後の宇多天皇のもとで雑掌勘解由(雑務と経理)を務めた長五道安五代の孫、長安安敏が開祖とされています。長安安敏は菅原道真に仕えていましたが、太宰府流罪の折に河内国土師村に居を移します。その後、土師村で土師、つまり陶工として身を立て、氏も「土師」と改めました。その後、代を重ねること二十数代、途中楠木正成や後醍醐天皇などに仕えることもありましたが、概ね土師を生業とし、二十三代長左衛門にして初めて京に上りました。そのときの記録は伝わっていませんが、楽家四代・一入に弟子入りし、楽焼の技法を極めたようです。
 そして裏千家の四代目、仙叟宗室が加賀前田家へ出仕するに当たり、伴った茶碗師が長左衛門でした。その後、金腐川が流れる大樋村に居を定め、仙叟宗室との作陶の日々が始まります。一説によると、楽家特有の黒釉、赤釉を使うことを禁じられたとか。これは楽家から禁止されたのではなく、仙叟宗室によって意図的に使うことを止められたとする説もあります。なぜか、長左衛門の作風は、素朴にして雄渾、楽よりは薄手とはいえ、ごつごつと無骨ですが全体にのびのびとした丸みがあり力強い作品ばかりです。これは別に「稚拙味」とも言われます。今風に言えば“ヘタウマ”ということでしょうか。しかし、一方で生物を象った作品では巧みな彫塑の腕を見せています。仙叟宗室との別れの折に互いにひとつずつ持ち合ったという有名な一双の水指の海老や、これまた有名な「黒釉烏香炉」を見ればそれは明らかでしょう。つまり、仙叟宗室と、かなり意図的に楽家とは違う作行きを編み出そうとしたようなのです。
 黄色い独特の飴釉、無骨で素朴で力強く、でも優しい立ち姿。張り出した丸みを帯びた腰、小さく削りだし、畳付で土見せにしない高台。そして渦文、波文、海老・亀など水に因む意匠。後々まで大樋焼の特徴とされるこれらの作風は、楽家との差別化のため、こうして初代長左衛門と仙叟宗室によって編み出されたのでした。京から遠く離れた地で明治を迎えるまで粛々と窯を保ち続けたのは、この初代から始まる独特の作風によるところが大きいと言えるでしょう。仙叟宗室は元禄六年に加賀を去りましたが、その後も長左衛門は大樋村で作品を作り続け、後の大樋と氏を改めました。

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