赤松麟作(あかまつりんさく)

赤松麟作益

 赤松麟作は、明治から昭和にかけて、洋画を中心に活躍した洋画家。明治11年岡山津山に生まれましたが、5年後家族で大阪の中之島に移ります。明治26年に洋画家の山内愚僊の内弟子になって油絵を始める。 東京美術学校(現東京芸術大学)の学生のとき黒田清輝に師事。卒業後、三重県の中学校の教師になりますが、弱冠23歳で白馬会展に出品して白馬賞を受けた「夜汽車」で名前が知られるようになります。
 この絵は黒田清輝らがフランスから19世紀の末に持ち帰った外交派系の佳作として世の中に知られています。戸外の明るい光、色彩の効果を考えて、作品をすべて戸外で描く考え方をいい、そのように描く画家たちを外交派と呼びます。 明治37年に朝日新聞社に入り、挿絵記者として入社。明治41年に文展に入賞をします。1910年大阪梅田に赤松洋画塾を開設し、大正15年に画塾を心斎橋に移し、赤松洋画研究所と改名しました。そして、後世の画家輩出に力を注ぎました。関西女子美術学校校長、大阪市立美術研究所教授となり、1948年、洋画界育成の功労によって、大阪府から知事文芸賞を受賞しました。

ユーモアを感じられる赤松麟作の作品

 赤松麟作の絵画は油絵以外でも才能を発揮。大阪三十六景の木版画集、ペン画の水彩画など。作品「四ツ橋から」はレトロなタッチで、戦前の大阪四ツ橋から望んだ懐かしい風景画で、その中、背筋を伸ばして帽子をかぶった男の人が歩いている風景です。彼の洋画研究所が心斎橋の丹平ハウスにあり、門下生を連れて写生に行った場所だそうです。古きよき時代の大阪が懐かしいタッチで描かれています。このペン画の裏に説明記事として、作品の場所と思われる新聞の切り抜きがついていて、1973年5月1日となっています。
 赤松麟作はきっとユーモアのある人物であったのだと思わせます。この画塾の卒業生には佐伯雄三、山名文夫がいます。ちなみにこの丹平ハウスは、丹平商会(現丹平製薬)のビルで、1階にはしゃれた喫茶ソーダファウンテン、2階には赤松洋画研究所がありました。また、ほかにも丹平写真倶楽部があって、上田備山、安井仲治らが参加していました。丹平ハウスは当時の先端を行く、おしゃれな場所だったのです。赤松麟作の作品が多く展示されているのは、津山市にあるカンダミュージアム(2009年開館)で、ここでは赤松麟作のほかに小原尋、杉山卓、中尾明子などの津山市出身の画家の作品を収蔵しています。

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