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「裏千家 [五代] 常叟宗室 不休斎」
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裏千家 [五代] 常叟宗室 不休斎

 常叟宗室は、悲劇の人と語られることの多い宗匠です。先代仙叟宗室が50歳を過ぎて加賀で娶った後妻の子で、その母も3歳のときに他界します。その後仙叟宗室とともに京に移り茶の湯を学び、仙叟宗室が他界するとともに25歳で宗匠を継ぎます。しかし、生まれつき体が弱かったことに加え、当時の加賀藩は先代、先々代藩主の数寄好みの茶人が多く集まっており、茶頭を勤めるのは老獪な先達ばかり。若輩の常叟宗室は大変居心地の悪い思いをしたそうです。寒さの厳しい土地柄で、そんな老練な茶人を相手にさせているのはしのびないと、常叟宗室を松山藩へ推挙したのが、当時の藩主前田綱紀でした。
 常叟宗室の後、幕末まで裏千家は松山藩久松家に仕えますが、同時に前田家への出入りも最後まで許されていることでも分かるように、決して前田家との仲が悪くなったわけではなく、むしろ以前にもまして交流が盛んになったようです。松山という新天地は常叟宗室の肌に合ったようで、京と松山を往復する忙しくも充実した日々を送っていましたが、これからというところで急死してしまいます。享年32歳。わずか7年の当代でした。

簡素であるのに華やか

 そんな短い宗匠時代であったため、常叟宗室の好みものはあまり多く残されてはいません。しかし、もっとも有名な甲赤茶碗に見られるように、はっとするような鮮やかな朱を使ったものが多く残されています。その形は非常に簡素なのですが、色使いや塗りの様子、そして要所で緊張感のある緩急を付けており、簡素であるのに華やかという相矛盾する品になっています。 これを、元禄という成熟した町人文化を反映したものと捉えることももちろんできます。しかし、厳しい寒さの中から、暖かな新天地へと飛び出せた常叟宗室の喜びがこめられていると見ることもできるかもしれません。あるいは長くないと知った己の命の煌きを、茶道具に託したと見るのは不遜なことでしょうか。代継ぎの間は宗室を名乗らず、法名で初めて宗室を名乗っています。また、常叟宗室の次代から、代継ぎで宗室の名も襲うようになります。

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