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「久田家[三世]_宗全_徳誉斎」
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久田家[三世]_宗全_徳誉斎

久田家[三世]_宗全_徳誉斎

 久田家三世の宗全は、本間利兵衛を父に生まれ、当初本間姓を名乗りましたが、やがて雛屋姓を一時名乗った後に久田姓に戻っています。弟に表千家五代の随流斎がおり、長男が覚々斎として表千家六代を継いでいます。 このように千家との関係を密にし、茶の湯にも優れた足跡を残したのが宗全でした。

宗全に至ってようやく茶家として本格的に活躍が始まった

 久田家の庵号である「半床庵」もまた、宗全が名乗ったところから始まったとされています。現在の半床庵(高倉久田家)は明治19年に再建されたもので、最初の半床庵がどのような形であったのかはっきりとはわかっていません。現在のものは四畳中板に中柱を配した形となっており、これを宗全好として伝えていますが、二畳中板の茶室であったという説もあり正解は依然分かりません。
 このように初期の久田家については、記録が失伝しており不明な点が多いのですが、宗全に至ってようやく茶家として本格的に活躍が始まったようで、特に茶道具で多くの事跡が残されています。そのもっとも有名なものが宗全籠です。底が長方形で丸い口に向かって編み上げられた竹製の置籠花入で、力強さと優美さを供えています。竹を使った手工に秀でた宗全の自作と伝えられ、他にも「蝉籠花入」「巻上壷形手付籠」などの作品を残しています。また、茶碗でも優れた手造を見せており、赤筒茶碗 銘「独り子」、赤茶碗「かき餅」といった名品が今に伝えられています。

「侘び宗旦」の精神をよく継いでいる宗全

 千家とのかかわりが密になったことは先にも述べたとおりですが、久田家で千家十職に好を作らせたのも宗全が初めてでしょう。主に楽家で茶碗、香合を好んでいます。こうした宗全の手造、好に見られる特徴は、決して無骨ではない太さと強さが、優美さと同居していることでしょうか。侘びを体現しつつ、そこはかとない華やかさも感じさせてくれます。茶の湯は主に外祖父である宗旦に学んだとされていますが、「侘び宗旦」の精神をよく継いでいる独りと言えるでしょう。

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