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「宗偏流[三世]_江学宗円」
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宗偏流[三世]_江学宗円

宗偏流[三世]_江学宗円

 宗偏流三世を継いだ宗円は、開祖宗偏の孫に当たります。僧名を江学、斎号を力囲斎(りきいさい)と言います。この斎号は、実は開祖宗偏のものでもありました。当時、こうした号は勝手に名乗ることが許されるものではありません。宗偏は、師宗旦から、皆伝の際に不審庵、今日庵の茶号を授けられています。また、宗旦から利休伝来の四方釜を拝受した折には、大徳寺の翠厳和尚から四方庵の号を授かります。力囲斎の号は宗旦から贈られたものとされていますが、いつ授かったものかは判然としていません。これらの号を、晩年の宗偏は惜しげもなくさまざまな弟子に振り分けました。
 今日庵は商人であった鳥居宗逸に、四方庵の号は吉田藩に程近い三河新城藩の藩主・菅沼定実に。そして力囲斎の号は、小笠原家中で、特に優秀な弟子であった相良宗因(市左衛門)に譲られています。後々になってみると、茶号しかり、庵号しかり、いずれも道統を守るためにその時代を代表する茶人に託される非常に意味深いものです。しかし、それが転々とするところが宗偏流の面白いところでしょう。詳しい経緯は残されていません、宗円が代を継ぐにあたり、相良宗因から号の返還があり、晴れて宗円は力囲斎を名乗ることになりました。蛇足ですが、後にこの力囲斎は五世宗俊も名乗っています。これも再び“出戻り”しての襲名でありました。
 翻って宗円は、宗偏の第三子・権平の子です。権平は生駒姓を名乗っており、武家として小笠原家に仕え、近侍頭になっていましたが、竹の扱いに非常に長けていたそうです。宗偏存命中には、権平が竹を切り出し、宗偏が削って茶杓を作ったと伝わっています。そんな祖父、父を持った宗円は、茶の湯の深奥を宗偏の高弟・岡村宗恕から学びました。代継ぎの間に、小笠原家は遠江掛川藩から、奥州棚倉藩に移封されています。宗円も付き従いましたが、江戸の下屋敷近くに茶室を構え、徐々に江戸で過ごすことが多くなっていったそうです。

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