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「薮内家[九代]_竹露紹智_宝林斎」
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薮内家[九代]_竹露紹智_宝林斎

薮内家[九代]_竹露紹智_宝林斎

 竹露が逝去したのは明治7年、64歳のことです。非常に心労の多い代継ぎであったと推測されています。文明開化の明治の世、古流のものはすべからく排除すべし、徳川の、武家の文化はもってのほかと厭われた時代です。竹露が代を継いだのはその時でした。
 先代竹猗が逝去した明治2年、茶の湯に逆風が吹き荒れていた時に代を継ぎ、その心労のあまりわずか5年でこの世を去ってしまいました。生まれは六代宗匠、比老斎の実子にて江戸に配された珍牛斎のそのまた実子、つまり比老斎の孫に当たります。薮内家の表舞台からは長く遠ざかっていたこともあり、伝わっていることといえば、代継ぎしてからは門人の稽古に勤しみ、常に笑顔を絶やさない温顔で「羽織の紐を弄びつつ」弟子に教えていた姿ばかりです。 “書は人なり”とは言いますが、その温和な性格は書にもよく現れており、ごくごくわずかにしか現存しない一行書の真跡は、素直な行草書で落ち着いた優しさを持っており、包容力にも優れています。道具も残されているものがほとんどありませんが、わずかに花入、茶杓ばかりが伝わっています。しかし、その作は名の有る歴代宗匠と比べてもまったく遜色がありません。気品の中に侘びと重厚感、そして妙味を発揮するのが薮内流ですが、竹露はさらに広い世界をその作品の中に感じさせます。例えば「玄鶴」の銘を持つ茶杓です。全体として、櫂先は雄大に広がり、節下はすらりと引き締まった優美な作り。節上は煤竹で櫂先にまで深い樋が入り、節下は切止めにかけて一部を削ぎ落としてあります。
 茶道具ではその全体の有り様を見て「景色」が良い、悪いという言い方をしますが、この玄鶴には、景色どころか広い世界すら感じさせる無限の広がりを持っています。閉塞した時代にあって、道具の中で広い世界を見出して構築したのは果たして皮肉だったのか、それとも幸せなことだったのでしょうか。そんな思いで茶道具を見ると、また違った味わいを感じることができるかもしれません。

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